2017年06月17日

第三部 緑の王 -2-

「おまえは少しのあいだも大人しくしていられないのか? さっきまで部屋で寝ていたはずだろう」
「それはっ、あなたが腕を怪我したと聞いたから!」
 青の王の身体を見下ろした。藍色の上着に隠されてはいるが、右腕を布で吊っているようだったので、慌てて離れようとした。
「下ろしてください、傷に障ります!」
「暴れるな。肋骨も折っているから暴れると響く。右腕なら、手首が折れただけだから命に別条はない」
「な、なにを平然と……骨が折れただけなんて馬鹿なことおっしゃらないで、もっとご自分の身体を大事にしてください!」
 怒鳴りつけると、じろりとにらまれた。
「七日も昏睡状態になるほど無茶をしたおまえに、説教されるとは思いもしなかった」
 仕方なくじっとしたけれど、腕から下ろしてくれなかった。部屋まで運ばれると、侍女が床に両手をついて深々と頭を下げた。
「申し訳ございません! シャーがお怪我をされたと、わたくしが伝えてしまって……!」
「気にするな。これの術に惑わされたのだろう。面倒だろうが、あと数日はセージの世話を続けてくれ」
「は、はい……かしこまりました」
 侍女は顔を上げて、部屋を出て行った。青の王は寝台の中央に俺を下ろすと、自分も寝台のふちに腰を下ろして、おもむろに俺のほおをつねった。
「い、いひゃ……っ」
「むやみに『声』を使うなと何度言わせる気だ」
「らって、ごめ、なひゃい」
 青の王の手が離れると、俺はつねられたほおを押さえ、涙目で恨みがましくにらんだ。青の王はまったく気にせずに話し始めた。
「カテドラルでおまえが気を失った後、セーブルは兵に捕らえさせた。あの時、セーブルは間違いなく術を使っていた。それまで、術師としての才があるという自覚がなかったようだが、カテドラルで突然、おまえに襲われて、命がけで抵抗したせいで力が発露したのかもしれないと言っている」
「襲われ……ち、違います! 先に俺たちを殺そうとしたのはセーブル様のほうで……そうだ、ウィロウは!? 彼は無事なのですか!?」
 セーブルに頭を殴られて、気を失っていたはずだ。
「無事だ。ウィロウもセーブルから仕掛けたと証言しているが……おまえの臣下だという理由で、セーブルは証言の有用性を認めはしないだろう。たしかな証拠をつかんで、セーブルを捕らえるまではここにいろ。緑の宮殿の側近たちにも話はつけてある」
「ここに……青の宮殿のハリームに?」
「セーブルが真相を暴かれるのを恐れて、おまえを殺そうとするかもしれない。ハリームならさすがに手出しはできないだろう。ウィロウも別の場所で保護しているから心配するな」
「別の場所って、シアン様が守ってくれているのですか?」
 青の王は少しだけ意外そうな顔をした。
「ふたりが結婚していたと聞いたのか?」
「ええと、ウィロウが北方へ行った後に噂で聞いたんです。それまでは、ウィロウが俺の耳には入らないようにしてたみたいで……男同士なんてありえないと言っていたので気持ちはわかるんですが。高官たちのあいだでは、もっと前からふたりの結婚が噂になっていたのですよね?」
「ああ、ウィロウのことはシアンに任せておけば心配ない」
 そうだろうか。紫の宮殿でウィロウがセーブルに食ってかかった時、シアンの名を出していた。あれは、取引の人質にするために襲われたという意味ではなかったのだろうか。
 つまりそれは、シアンの悪い噂の通りで。ウィロウのことを人質の価値があると見せびらかして、囮に使っているという話が正しかったということになる。そんなひとに守られていると聞かされても、安心なんてできなかった。
「本当にウィロウは大丈夫なのでしょうか……」
 うつむいて寝台の布を握りしめると、青の王に引き寄せられた。ぎょっとして押し返そうとしたが、力が強くて身動きが取れない。大きな手で背中を撫でられた。
「ウィロウより自分の身を心配しろ。このまま目を覚まさないのではないかと、気が気ではなかった」
 そんな時ではないとわかっているのに、胸が甘く痛んだ。
「あの、ええと……ごめんなさい?」
 青の王の腕にそっとふれて、ちらりと顔を見た。
「セーブル様から、守ってくださってありがとうございました。俺にはこれくらいしかお返しできませんが……服を脱いで、寝台に横になってください」
「元気なのは何よりだが、七日ぶりに眠りから目覚めて開口一番、私に服を脱げと?」
「それ……? あっ、違います! 抱かれたいとかそういう意味じゃなくて、神の力で折れた骨を治せるかもしれないですから、服を脱いで見せてくださいとお願いしているだけです!」
 赤くなって両手で押し戻すと、今度は身体を離すことができた。青の王は右肩を軽く動かしてみせた。
「動かさないように吊っているだけで、骨折など放っておいてもすぐに治る。むやみに力を使うなと言ったばかりだろう」
「だって、俺には治す力があるのに、なにもしないなんてできません!」
 ぎしりと寝台がきしんだ。顔が近づいたと思ったら、くちびるを塞がれていた。なにが起きているのかわからなかった。ただ、甘やかすように優しくキスされるとなにも考えられなくなって、されるがままになった。ほおにもくちづけられて、首筋をなぞられると、気持ち良さにびくりと震えた。耳元でささやかれる。
「利き手が使えない。抱かれたければ、おまえが服を脱がせろ」
「だからっ……俺は抱かれたいなんて言ってません!」
「脱がせる気が無いなら、服を着たままするか?」
 耳たぶを噛まれて、一瞬、ここがどこかも忘れてしまいそうになった。
 ここは青の宮殿のハリームで、本来ならば青の姫のための部屋で、俺はセーブルに命を狙われていて、緑の宮殿にも帰れない。だから、今だけは青の王のそばにいるしかない。キスを続けていい理由があるとわかって、頭がぼうっとしてくる。
 くちを開くと、あごをつかまれて舌を吸われた。優しく髪を撫でられると力が抜けて、青の王にもたれかかった。
「抱く前にまずは食事だな。またあとで会いに来るから、それまでは大人しく待っていろ」
 立ち上がろうとした青の王の服をつかんだ。
「行かないで、もう少し一緒に……」
 そばにいて欲しいとねだりかけてハッとした。雰囲気にのまれて、甘えそうになってしまった。
 とっさに嘘だと言いそうになったが、青の王は神の力で俺の考えを読める。下手な嘘をついても意味がない。誤魔化してしまおうと、自分の服の襟ぐりに手をかけて、肌を見せるためにずり下ろした。
「もう少し一緒にいてくださいませんか? まだおそばにいたいのです。あなたが望まれるなら、なんでもいたしますから、どうかお命じください」
 すがるようにお願いすると、露出した肩に青の王の指がふれた。指先で肌をなぞられて、もどかしさに身震いしそうになった。青の王は無言で、ずり落ちていた服をつかむと肩にかけた。
「私を引き止めたいなら、浅はかな色仕掛けではなく、肉体を使わずに甘えてみせろ」
「……え?」
 顔がひきつり、微笑むのに失敗してしまった。服の胸元を握りしめて、どうしたらいいかを考えた。甘えろと言われているのだから甘えなくちゃいけない。そう考えるたび、甘えるってどうしたらいいのかと迷ってしまう。
 甘える? 見下したような目で俺を見るくせに、隙を見せたらすぐに揚げ足を取ってからかうくせに、冷酷で意地悪で、それなのに、俺が道を間違えそうになったら止めてくれる。命をかけてでも俺を守ってくれる男に、甘える?
「……むり」
 顔から火が出そうだ。まだほんの子どもの頃、世話になっていた屋敷の主人に犯された時、自分のやるべきことがなにかを悟った。主人の視線が妹に向くのを防ぐためなら、俺はなんだってやった。肉体を差し出して媚びておけば、主人みたいに狡猾な年上の男だって、操れると知った。
 裸を見せるのも、はしたなくねだるのも身を守るためだ。なんの力も持たない俺の、ささやかな抵抗だ。青の王は狡猾な年上の男で、油断のならない相手で――今は俺を好きだと言ってくれる。なんで俺なんかを相手にしてくれるのかわからないけれど、好きだと言ってくれる。
 ぎゅっと瞳を閉じて、ひざの上で両手をかたく握りしめた。
「あの、ちょっとほおを……ぶってもらえませんか? 普通に甘えるのは俺には難しくて……」
 殴り飛ばされる覚悟を決めたのに、返事がない。恐々と目を開けて青の王を見上げた。今すぐにでも殺されそうなほど凶悪な表情を浮かべていたので、背筋がしびれるほどぞくりとした。
 両手を伸ばして、青いティンクチャーのしるされた右手をそっと握りしめると、自分のほおに導いた。
「叩いて?」
「おまえの思惑にはもう乗らない。私を操りたいなら素直に甘えてみせろ」
「叩くのが好きなのに?」
 乱暴にするほうが、しょうに合っているくせに。握っていた手を振りほどかれて、強い力であごをつかまれた。俺の言い草に腹を立てて、ぶってくれるなら良かったのに。青の王は力をゆるめると、親指で俺のくちびるをなぞって、ぞっとするほど甘い声を出した。
「望みを言えば、その通りにしてやるとしても?」
 悪魔のささやきのような言葉に翻弄されて、甘えてしまいそうになった。
 青の王は簡単に甘えろなんて言うけれど、それが俺の心をどれだけ震わせるのかは知らないのだろう。物心ついた時から親もなく、妹を甘やかして幸福に浸っていた俺が、好きな相手から甘えていいなんて言われたら、どうしたらいいかわからなくなるなんて、思ってもみないのだろう。
「嘘つき」
 力無く言い返した。青の王は侍女に食事を運ばせた。寝台の隣に小さな机が用意され、その上に料理が並べられた。山羊の乳で煮込んだパンは、病人食としてはよくあるもので、温かく身体にも優しそうだ。それなのに、少しも食欲がわいてこなかった。
 皿を手渡されて途方に暮れていると、青の王は俺の手からスプーンを取り上げて、皿の中身をすくった。
「くちを開けろ」
 ほろりと溶けかけた白いパンを、口元に差し出される促されてひとくち食べたけれど、味がわからなくて気持ちが悪い。吐き出すわけにもいかずになんとか飲み込むと、またスプーンをくちの前に突きつけられた。食べるのをためらっていると、青の王の顔が近づいてきた。
「ゆっくり食べていい。食べ終わるまでそばにいてやる」
 ささやかれて頭がくらくらした。慌てて、スプーンにくちをつけた。今度は甘かった。ちゃんと味わうと、身体に染み込んでいくような気がする。自分で食べられるようになっても、青の王に世話されるまま、食事を続けた。
 優しくされるのが心地よくてやめてと言えなかった。差し出されたスプーンの柄を噛みしめた。
「……セージ?」
 名前を呼ばれる喜びが、やわらかな食事のように身体に染み渡る。このひとは誰なんだろう。こんなふうに甘やかしてくれるなんて、俺が知っている青の王じゃないみたいだ。
 それとも、いつも女性にこんな態度だったのだろうか? 俺も偽者のヒソクを名乗ったりしないで、本物の青の姫になっていたら、ハリームでこんな毎日を送れたのだろうか?
「いいなあ……」
 思わずつぶやいていた。
「誰がうらやましい?」
 青の王はわずかに笑ったようだったが、手足から力が抜けて答えられなかった。意識が薄らぐと、寝台に横たえられた。
 きっと都合のいい夢だったのだろうと思ったが、目が覚めてもまだ俺はハリームにいた。
 侍女たちは親切で、困ったことはないかと気にかけてくれた。久しぶりに湯浴みをして、寝たきりだった身体の汚れを洗い流すと、香を焚きしめた夜着に着替えさせられた。
 生地が透けそうな水色の夜着は、ずっと前に『星見のヒソク』を名乗っていた頃にも着せられたことがあった。王の女のための服だ。侍女はたんねんに、癖の強い俺の髪を櫛でとかした。
「今夜はシャーがおいでになりますから、綺麗になさいませんと!」
 張り切って仕度を整えられて、髪に青い花までつけられて、王が来るのを待つのはまるで、本物の青の姫のようだ。寝台で本を読んで待っていると、夜遅くになって青の王があらわれた。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー