2017年06月11日

第三部 緑の王 -1-

 葡萄酒祭りの最終日を明日に控え、閉会式のための準備に取り掛かった。
 観客の前で挨拶をすることになっているので、なにを話すか考えなくてはならない。側近からは近頃の体調不良を理由に、辞退した方がいいと説得されているが、あきらめるつもりはなかった。
 数日前に青の宮殿で血を吐いてから、気分が優れないのは本当で、医師のマラカイトにも外出を止められている。
 マラカイトは緑の専属医をしていた男だ。小柄で頑固な顔つきをした老人で、宝石治療を専門とする医師としての腕はたしかだったが、宮殿の財源が乏しく、側近や侍従たちを手放さねばならなかった時期に、専属医を辞めさせることになった。
 自ら宮殿を出て、中心街で町医者として働き出したが、俺の体調が悪くなると侍従長のガゾンの呼び出しに応じて、診に来てくれている。マラカイトは診察を終えると、訝し気に言った。
「ウィロウがサルタイアーへ視察に? しかし、先ほど紫の宮殿で見かけたのは、たしかに彼だったと思いますが……」
「紫の宮殿に? そんなはずないと思いますけど」
 俺の住まう緑の宮殿は、紫の宮殿の敷地内にある。王宮外に建てられていた豪奢な宮殿を売り払ったため、紫の宮殿にある一棟を借り受けているのだ。宮殿の出入りには紫の宮殿の裏庭を通り抜けることになり、だから、マラカイトの語った目撃談にも信ぴょう性があった。
 マラカイトはウィロウとも付き合いが長く、顔を見間違えるはずはないと言った。
「頭に怪我をしていたようですが……なにかあって王都に戻ったということはありませんか?」
「怪我!?」
 思いもかけない話だ。視察に行く前にも宮殿に顔を出してくれたが、その時は元気そうで、怪我などしていなかった。
「昨日、シアン様がいらした時には視察が中断したなんて、少しもおっしゃっていませんでしたし……」
 シアンが閉会式の打ち合わせに来ていたけれど、視察の話は出なかった。いつもと変わらない涼やかな無表情で、体調を崩した俺を心配して、挨拶の役回りは見合わせた方がいいと言ってくれた。
 三年ほど前に、シアンは青の宰相の地位を捨てて北方へ行った。ウィロウが追いかけるように北方へ行ったことで、俺はふたりの仲に気づいた。
 気づくのが遅すぎたくらいで、どうやらウィロウが意図的に俺の耳には入れないようにしていたらしく、高官のあいだでは、ふたりの結婚は有名な話だった。
 結婚とはいっても、好き合っているからそうしたわけではなく、政治的な意味合いが強いという。
 シアンは権力を得るために、水道長官であるウィロウを掌中におさめ、対外的に分かりやすくするために結婚までしてみせたという話だった。
 それなら、男同士なんてと忌み嫌っていたウィロウの言動とも矛盾せず、〈青の学士〉のためになるのならウィロウが進んで協力したのかもしれないと、ひとまずは納得したのだが。
 ふと、嫌な話を思い出した。シアンが結婚を公言したのは、まるでウィロウに人質の価値があると見せびらかすようで、弱味のひとつもない冷酷な男が、狙うならウィロウだと誘っているようだと、嫌味を言う者もいるという。
 マラカイトが止めるのを振り切って、部屋を出ると紫の宮殿へ向かった。ウィロウになにがあったのか聞かなくては。
 紫の宮殿の柱廊は、長方形の庭園を囲むように造られている。庭園の中央には噴水が造られ、庭を挟んだ向かいの廊下にウィロウがいるのを見つけた。
 遠目にもわかるくらいに憔悴した顔つきで、頭には包帯を巻いている。
 そばにはなぜか黒の王のセーブルがいた。噴水の水音でなにを言っているのかはっきりとは聞こえないが、ウィロウがセーブルに食ってかかっているようだった。
 庭に続く階段を駆け下り、噴水のそばを横切って駆け寄った。
「おれを襲わせたのもあんたなのか!? 人質を取って、シアンになにをさせる気だったんだよ!」
 ウィロウの言葉に足を止めた。廊下を見上げると、セーブルと目が合った。漆黒の瞳で俺を見下ろして、背筋がひやりとするほど甘ったるいねこなで声を出した。
「ヴァート王、いつからそこにいらしたのです?」
「今のお話は……あなたがウィロウを襲ったというのは本当なのですか」
「ああ、この者は貴方の侍従でしたか。なにか勘違いしているようで、急に呼び止められて驚いていたところですよ」
 にこやかに答えると、ウィロウがセーブルの腕をつかんだ。
「ふざけるな! おれの勘違いだっていうなら、さっきの話も紫の宮殿に響き渡るように叫んでやろうか!?」
「……なにを言っているのか理解に苦しみますが、ここで叫ばれて、パーピュア王に紫の宮殿を騒がせた原因が私にあると思われても困りますね。ここでは人目につきすぎますから、場所を移して話しましょうか」
 黒の兵を連れて歩き出したのを、ウィロウが止めた。
「兵は置いていけ。こっちも、おれと王様だけなんだから警戒することないだろう?」
 セーブルは俺たちを一瞥してから、「いいでしょう」と兵を下がらせた。
「それだけ警戒しているのなら、行き先が私の宮殿でも安心はできないでしょう? この時間ならカテドラルには誰もいません。そこで落ち着いて話しましょうか」
 三人だけでカテドラルへやってくると、建物の中には見回りの兵の姿もなく、静まり返っていた。セーブルは大聖堂の扉を開けた。
 後について足を踏み入れると、気の短いウィロウが怒鳴った。
「こんなところへ連れてきて、言い訳があるならさっさと話せよ!」
 セーブルは背を向けたまま、ひとりごとのようにつぶやいた。
「私だって、おまえのような下賤な者に関わる気はありませんでした。これも、青の近衛隊長が失敗したせいです。恨むならあの役立たずを恨みなさい」
「はあ?」
 セーブルは振り向きざま、ウィロウの顔を殴りつけた。勢いよく飛ばされたウィロウは、椅子にぶつかって気を失った。
「ウィロウ!?」
 駆け寄ろうとしたが、それを阻まれた。セーブルは俺を床に押し倒して、両手で首を締めた。
「計画の邪魔はさせませんよ。貴方がたには、ここで死んでもらいます」
 脚をばたつかせてもがいたが、力ではかなわない。締めつけられたのどが潰れそうに痛み、すぐに息が苦しくなってくる。神の力を使わなければ切り抜けられないと悟り、セーブルをにらみつけて『声』を使った。
「手を……離せ」
 かすれた声しか出なかったが、馬乗りになっているセーブルの耳には届いたはずだ。しかし、セーブルはさらにのどを締め付けてきた。
「離せ!」
「まだ、叫ぶ元気が残っているのですか?」
 セーブルはうすら笑った。自分が殺されかけているという状況も、忘れてしまうほどに驚いた。『声』が効かない。のどを締め上げられる苦しさで、意識が遠のきそうになった。
 力の入らない腕をなんとか持ち上げて、セーブルの腹をさわった。ぶわりと風が巻き起こり、身体に覆いかぶさっているセーブルを吹き飛ばした。
 ようやく解放され、背を丸めて必死に空気を吸った。涙目でにらむと、セーブルは床に尻もちをついた格好で、俺を見ていた。
「はは……さすがは、星見のヒソクと言われただけのことはありますね。風を操れるなんて、貴方はこんな力まで隠し持っていたのですか? 雷を予見した時のサキヨミ、無くした指を元通りにした再生能力、そしてひとを操る声までも……私がいくら望んでも与えられなかったものを、なぜ貴方だけがたやすく手にできるのか……」
 セーブルは自嘲するような笑みを浮かべた。俺は身体を起こして、まだ痛むのどを押さえた。
「こんな力、俺は欲しくなかった……」
「欲しくない?」
 セーブルは目を見開いた。
「なにを言っているのです? まさか、神の力が欲しくないなんて、そんなわけがないでしょう?」
「俺はそんな話をしにきたんじゃありません! さっきの話……青の近衛隊長の失敗って、青の王の暗殺未遂ですよね。あの事件はセーブルが企てたのですか!? どうして青の王を殺そうとしたのですか!」
「……馬鹿な。神の力が欲しくないなんてありえない」
 ぶつぶつとくちの中でつぶやくだけで、問いかけに答えようとしないセーブルの態度に、怒りが込み上げてくる。ふらつく脚に力を込めて、なんとかその場に立ち上がった。
「答えろ! 青の王を殺そうとしたのはあなたですか!?」
 セーブルのようすに変化はなく、やはり『声』が効かなかった。
 術が使えないわけではないのに『声』だけ使えないなんてありえない。なにか原因があるはずだ。混乱しながらも、その原因を見極めようとした。ゆっくりと近づいていくと、セーブルが俺を見上げた。夜のように暗い双眸を見つめて、その奥まで見通そうとした。
「答えろ」
「……私に脅しが通じるとでも?」
 まだだ。なぜ『声』が響かないのだ。術を使おうとしても、暗く深い闇に飲み込まれてしまうだけで、セーブルを従えられない。もっと強くなければ、従わせられない。意識を集中させて、さらに強い力を呼び起こそうとした。何度も『声』をかけようとしたが、それでもまだ足りなくて、ふいに、得体のしれない化け物を前にしているような気がした。
 セーブルはなんの力も持たない、ただの人間のはずなのに。まるで、目には見えない壁で守られているようだ。
 頭の芯まで響かないから操れない。壁を消さなくては、セーブルは操れない。手足が冷たくなって、ほおを冷たい汗が伝い落ちた。目の前を黒いもやが覆い隠したが、不思議とはっきりと、セーブルの顔だけは見えていた。
 セーブルの顔に、ぎょっとしたような表情が浮かんだ。俺たちのまわりを取り囲んでいる黒いもやを見回して、恐怖で叫んだ。
「こ、これは……?」
「答えろ!」
 セーブルの身体がびくりと揺れた。表情が抜け落ちて、操られるようにくちびるが動いた。
「……青の王を殺すために……ルクソールの孫を人質にとって、暗殺を命じたのです」
 響いた。
 だが長くは続かなかった。セーブルは我に返ったようにくちを押さえた。完全に従わせるには、もっと大きな力が必要だ。そのためには、頭の中の壁を壊してしまわなくてはならない。
 壁だけではなく、セーブルのすべてを壊すことになっても構わない。
 青の王の暗殺未遂の現場に、俺も居合わせていた。青の王の傷は致命傷で、すぐに神の力を使って癒さなければ、死んでしまっていただろう。あの時の絶望感が、セーブルの告白を前にして、怒りに塗り替えられた。青の王の命を狙ったのは――許せない。
 二度と手出しできないように、逆らわないように操らなくては。俺はセーブルに『声』を使って呼びかけた。


 飛び起きると、そこは見知らぬ場所だった。天蓋から垂れ下がっている薄布は青く、俺の寝ていた寝台は清潔な白色で、身体が沈みそうなほどやわらかい。甘くさわやかな柑橘類の香りが、ほのかに漂っていた。
「え……ここは?」
 寝台のかたわらには、水色の服を着た美しい女が立っていた。彼女の服装は青の宮殿の侍女のもので、腰の帯には、侍女鈴という音の鳴らない鈴を下げている。
「お目覚めですか、セージ様。青の宮殿のハリームでございます。さあどうぞ、横になってください。七日も眠り続けていらしたのですから、急に動かれてはお身体に障ります」
「な、七日……?」
 カテドラルでの出来事を思い出した。セーブルにも術師の能力が備わっていたのだ。手をふれずに物を動かす力によって跳ね飛ばされたところを、なぜか青の王に助けられて、記憶はそこで途切れている。
 青の王にも『目』という相手の思考を読み取る力があるが、それだけでは、とてもセーブルのような攻撃に特化した能力に太刀打ちできるとは思えない。
「青の王はご無事ですか!?」
 侍女の腕にすがりついて尋ねた。まだ年若い侍女は、瞳を大きくしてから、俺を安心させるようにたおやかに微笑んだ。
「ええ、ご安心ください。お目覚めになられたと、すぐにシャーにお知らせしてまいりますね」
「本当に無事なのですか!? どこも怪我していませんか。包み隠さず教えてください!」
 とっさに『声』を使っていた。操られた侍女は表情を強張らせた。
「腕を……包帯で吊っていらっしゃいましたが、セージ様にはお伝えするなと言われて……」
 ゾッとして、侍女を押しのけて寝台から飛び降りた。足に力が入らず、床に倒れた。七日も寝たきりだったというのは本当のようで歩くことさえままならない。調度品につかまりながら、なんとか立ち上がって部屋から出た。廊下にいた侍女たちが驚いた顔で俺を見た。
「セージ様、お待ちください! どうかお部屋にお戻りください」
 肩をつかまれて、振りほどいた。
「退いて、青の王に会いにいかなくちゃ……!」
 ひどい怪我なら、俺が治さなくては。掻き立てられるような思いでハリームの出口に向かったが、足がもつれてまた倒れ込んだ。駆け寄ってきた侍女たちに、「大丈夫ですか」と声をかけられて、情けなさに涙がにじんだ。
 身体を持ち上げられた。慣れたやり方で片腕に抱き上げられて、男の顔を見下ろした。
「どこへ行こうとしていたんだ?」
 青の王は心底呆れたようなくちぶりで、そう言った。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー