2016年10月21日

第一部 青の王 -5-

 視察団を襲った者たちの手際がよほど良かったのか、ウィロウの行方はようとしてつかめなかった。シアンの私兵からも連絡は無く、不気味なほど静かな日々を過ごした。
 祭りの最終日を明日に控え、サルタイアーの国王がやってきた。シアンは国王をもてなすために付き添っていたが、夜になって青の王の自室にあらわれた。
「明日の閉会の式典で、ひとつ問題が。緑の方に円形場での挨拶をお願いしていましたが、体調が優れないと側近から知らせがありました」
「ヴァートが?」
「緑の宮殿に出向いて話を聞いてきましたが、少し前から臥せっていたようです。緑の方はまだ挨拶をあきらめておられないようですが、別の催しを用意したほうがよろしいかと」
 血を吐いていた姿を思い出した。
「わかった、挨拶は取りやめろ。ヴァートのことだ、勝手に抜け出すかもしれないから、緑の宮殿の近衛にはよく見張るように言っておけ」
「……そうですね。伝えます」
 控えめに扉を叩く音がした。
「シャー、入ってもよろしいですか?」
 近衛隊長が部屋に入ってきて、「申し訳ありません。至急にと言付かりました」と実直に頭を下げた。
 手にしていた小さな四角い箱を、シアンに差し出した。
「こちらをシアン様に届けるようにと……」
 シアンが凍てつくような目で近衛隊長を見つめたので、隊長は気圧されて言葉を切った。
「受け取らないのか」
 声をかけてもシアンは微動だにせず、よく回るくちを失ってしまったように、押し黙っていた。銀色の頭をつかんで、こちらを向かせた。青の王には相手の考えを読みとる力がある。『目』といわれる能力だ。
 たいして強い能力ではなく、すべて見通せるわけでもないが、集中すれば相手が頭に浮かべた光景や、考えが聞き取れる。
 水色の瞳をのぞきこんでも、考えは読めなかった。綺麗な湖のように、底が見渡せるほど透き通っていて、なにを考えているのかまったく浮かんでこない。なにも、考えられないのだろう。
 シアンの顔を見たまま、近衛隊長に手を伸ばした。
「箱を寄越せ。誰から預かった?」
 てのひらにそっと、小さな箱が乗せられた。
「あ……はい、サルタイアー国王からの贈り物です。今夜中にシアン様に届けて欲しいと、侍従が頼まれたようで……」
 箱を握りつぶした。
「シアン、聞け。ウィロウじゃない」
 乱暴に銀髪から手を離すと、シアンはよろけた。青の王は近衛隊長に箱の残骸を押しつけて、横をすり抜けた。壁にかかっていた長剣をつかむと、足早に自室を出た。
 途中で警備兵に呼び止められたが、「黒の宮殿へ行く。供はいらない」と答えた。
 エールのために近衛兵になろうとした時。
 どんな手を使っても弟のためにパーディシャーの地位を得ようと思った。荒れ果てた東方を治める『青の王』に就いたくらいでは、エールの未来は明るくないと想像がついたからだ。
 あの頃、すでに衰えていた視力が完全に無くなったら、エールの前から姿を消すつもりだった。自分がいなくなった後、弟を守らせようとして、シアンを選んだ。
 宝石みたいに輝くエールを愛していたのに。綺麗なものの前では自身も綺麗にあろうとするくせに、黒いものにふれれば、その色に染まってしまう。
 スクワルが『危なっかしい』と心配するのは間違いではない。シアンは仕える相手を、鏡に映った自分だと思いこむ。操りやすいとわかっていたからシアンを選んだ。罪悪感はないが、巻き込んだ責任はある。
 黒の宮殿を訪れ、門番にセーブルを呼び出させた。
 まもなく、セーブルの代わりに長い白髪をひとつに編んだ男があらわれた。黒の軍の部隊長だと名乗り、とげのある口調で言った。
「こんな夜更けに何の話があるのですか? まずは、要件を聞かせてもらいましょうか」
 黒の宰相が出てくるならともかく、武官に応対させるとは意外だった。パーディシャーだと気づいていないかのような、横柄な態度だ。挑発しやすそうな相手だった。
 騒ぎになれセーブルも出てくるしかないだろう。青の王が腰から下げていた剣の柄に手をふれると、部隊長はさっと身構えて、自分も剣を抜こうとした。
 部隊長の背後からセーブルがあらわれ、「下がりなさい」と命じた。
「だが……」
「おまえたち、部隊長を連れて行きなさい」
 セーブルは引き連れていた男たちに声をかけた。格好からすると兵ではないようで、黒いローブを羽織っている者が多く、よく見れば全員が衣服のどこかに、黒の神獣をかたどった飾りをつけていた。
 数年前に、黒の術師のソーサラーを引き取った時、彼女も同じ飾りを持っていたことを思い出した。つまり、セーブルを守るようにまわりを取り囲んでいるのは、みな黒の術師なのだろう。
 セーブルはかすかに笑みを浮かべた。
「私の臣下が失礼しました。しかし、こんな時刻に突然の来訪とは、さすがに傍若無人ではありませんか? お話があるのでしたら、あらためてこちらから青の宮殿へ出向きますので、今夜のところはどうぞお引き取りを」
 慇懃に通路を指し示すのを無視して、前に踏み出した。まわりの術師が動くよりも速く、片手でセーブルの首をつかんで引き寄せた。真っ黒な双眸をのぞきこむ。
「ウィロウはどこだ!」
 名前に反応してセーブルが頭に浮かべた光景を、読んだ。執務室らしき部屋で、白髪の部隊長と話をしている。なにかを見せられて、「そんなもの見せなくても結構ですよ」と答え、部隊長は手にしていた小瓶を軽く振ってから、箱にしまいこんだ。
「……先ほどの男が関わっているんだな」
 セーブルはカッと目を見開くと、大声で術師に命じた。
「アジュール王は乱心しています! 取り押さえなさい!」
 腕に焼けつくような痛みが走って、セーブルの首から手を離した。さわられてもいないのに痛むのは、術師の力だ。相手が兵ならばともかく、どんな能力を持っているかもわからない術師では分が悪い。だが、この場から引くにはまだ情報が足りない。
 術師のひとりが駆け寄ってきて、セーブルとのあいだに割って入った。青の王の目の前に、てのひらをかざした。
「て、抵抗するなら容赦はしま……」
 腰から下げた剣の留め具を外し、鞘ごとつかんで振ると、術師のわき腹に打ち付けた。術師は勢いよく飛ばされ、廊下を転がった。
 まわりの術師たちが怯んだ隙に、セーブルの首に鞘をあてて、乱暴に引き寄せた。鞘の両側をつかんで、背後から羽交い絞めにすると、鞘からわずかに剣を引き抜いた。むき出しの刃がセーブルの喉元にふれた。
「動けば、おまえたちの王の首を掻き切る」
 脅したところで、相手は術師だ。目には見えない力でなにを仕掛けられるわからない。一刻も早く、セーブルの考えを読み取るしかない。
 カツンと小気味のいい靴音がして振り向いた。
「正気か、アジュール」
 呆れた声でそう言ったのは、パーピュアだった。
「パーピュア……なぜここへ?」
 彼女はフッと笑い、腕を組んだ。
「おまえに会いに行ったら、黒の宮殿へ来ていると言われたんだ。アジュール……おまえ本能しかないドーブツか? 鼻先にエサをぶら下げられたら、それしか見えなくなる馬なのか? 仮にもパーディシャーなのだから、少しは頭を使え」
「なんの話をしに、青の宮殿へ行ったんだ」
「とにかく剣を下ろせ。セーブルを殺さなくては気が済まないというなら止めないが、わたしの話を聞いてからにしてくれ。おまえが兵やら術師どもに殺された後では、話もできないだろう」
 青の王は剣を引き、セーブルを解放した。床にひざをついたセーブルは、のどを押さえながらうめいた。
「パーディシャー、こんな真似をして、ただで済むとは思わないでください……!」
 術師が慌ててそばに駆け寄って、両側からセーブルを支えた。
 パーピュアは騒動にすっかり興味を失った顔をして、「さっさと行くぞ」と来た道を戻って云った。黒の宮殿を出て、警備兵の姿が見えなくなるまで歩くと、パーピュアは足を止めて、横道を指さした。紫の宮殿へ続く通路だ。
「寄っていけ」
「話があるならここで聞く」
「そうか? まあ簡単に言えば、おまえ、パーディシャーを辞める気はあるか?」
 なにげない口調で、軽やかに言い放った。
 目の前まで近寄ってくると、青の王の胸に片手を置いた。中性的な美貌に、誰もが見惚れるような極上の笑みを浮かべて、声をひそめ、話し始めた。
「取引といこう。おまえが欲しがっているものをくれてやるかわりに、パーディシャーの地位を寄越せ。おまえは脅す相手を間違えたんだ。シアンの恋人の赤毛なら、わたしの手のうちだ」
「……ウィロウを攫ったのか」
 パーピュアが離れると、ふわりと甘ったるい匂いがした。
「いやいや、そんな間抜けな真似はしないよ。攫ったのはセーブルだったのだろう? わたしは赤毛に見張りをつけていただけだ」
「見張り……?」
「赤毛はシアンの弱味だからな。偽りの恋人なんて言われているが、みな見る目が無い。シアンと取引するなら利用できるだろうと見張らせていたら、都合よく暴漢に攫われたので助け出してやった。攫われた事情を探ってから赤毛を返す気だったが、さっきようやく黒幕がわかった。セーブルなら納得がいく。おまえとシアンは嫌われているからな」
 通路を進み、暗がりから出て、明るい月に照らされた女王はもう一度、尋ねた。
「さて、どうする。赤毛の命と引き換えに、パーディシャーを辞める気はあるか?」
 すぐには答えずにいたが、察しの良いパーピュアは満足そうに微笑んだ。 
「紫の王を継いだ時からパーディシャーになると決めていたが、ようやく叶いそうだ」


 ウィロウが生きていたと伝えた。しかし、シアンはいつもと変わりない無表情で、「わかりました。お話はあとで伺います」とだけ答えて、サルタイアーの国王に付き添って、円形場へ向かった。
 葡萄酒祭り最終日、円形場では閉会の式典が執り行われる。青の王も行く予定だったが、その前にパーピュアと会うことになっており、王都の郊外で保護していたウィロウを呼び戻し、紫の宮殿で引き渡すと言われていた。
 約束の時間が迫ってきたので、スクワルを連れ、紫の宮殿へ向かう。カテドラルを通り抜けようとした。
「祭りが終わったら、正式に発表する予定だが」
「はあ、なんっすか?」
「私はパーディシャーの地位を下りる。新しいパーディシャーにはパーピュアが就く」
 スクワルが足を止めたので、後ろを振り返った。
「……冗談ですよね。まさか、ウィロウが見つかったって……あいつと引き換えにしたんですか?」
「パーピュアが偶然、ウィロウを保護していたんだ」
「そんな……手に入れるのにあれほど苦労したのに? サルタイアーとの戦いなんて、俺たちいつ死んでもおかしくなかったじゃないっすか。暗殺未遂も何度もあって、この前だって、緑の方がいなければ貴方は本当に死んでいたんっすよ。ルクソールだって死んで……全部、無駄にするんですか」
「終わったことだ」
 スクワルはとたんに声を低くした。苛立ちをにじませた顔で言った。
「貴方がパーディシャーになると言ったから、俺は黒の宮殿を裏切った。貴方にとって、パーディシャーの価値はなんだったんですか? どうして、そんなに簡単に手放せるのか俺には理解できない」
「生き返らせるよりは簡単だからだ」
 人間は、失えばかわりはきかない。失くしてから惜しんでも、二度と同じものは手に入らない。スクワルはうつむいて、「信じられねえ」と言った。
 遠くから、甲高い怒鳴り声が聞こえた。よく知っている声だったので、とっさに声のしているほうへ走った。大聖堂の扉が開いている。天井が高く、染色されたガラス窓から、朝陽が差し込んでいた。
 きらめく光の真下に、それはいた。
 緑色の服を着た、小さな背中から、わき上がる真っ黒なもやが、葉を茂らせた大木のように大聖堂に立ち込めている。
 スクワルが、異様な光景に「なんです、これ……」と後ずさった。
「答えてください! セーブル様がウィロウも殺そうとしたんですか」
 セージが叫んだ。
 耳を突き破りそうな音を立てて、ガラス窓がいっせいに割れた。セージの向こうにはセーブルがいたが、床にへたりこんで、呆然と天井を見上げている。
 青の王は大聖堂に足を踏み入れた。
「やめろ、セージ!」
 セージは聞こえていないかのように、こちらを振り返らずに、セーブルに近づいた。駆け寄ろうとしたが、黒いもやにふれると吐き気がして、意識が遠きそうになった。
 それがなにかはわからないが、何度か目にはしていて、セージが引き起こしていることだけは間違いない。通路を進むと、椅子のかげに倒れている男に気づいた。
 オレンジがかった赤毛には包帯が巻かれている。ウィロウの首根っこをつかみ上げて、乱暴に目覚めさせた。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー