2016年10月19日

第一部 青の王 -1-

「セーブルを処刑する」
 青の王がそう告げると、パーピュアは鼻を鳴らした。
「まあ、今回ばかりは仕方がないだろう」
 黒の王であるセーブルと、仲の悪いパーピュアの返答は予想していた通りだったが、平和主義のギュールズでさえ、神妙な顔をしながらも素直にうなずいた。セーブルの犯した罪はそれほどまでに重い。
 セーブルと青の王の確執は、数十年前にまでさかのぼる。当時はまだ青の王を継ぐ前で、近衛隊長をしていたのだから年季が入っている。ようやく、長年の確執にけりをつける時が来た。


 晴れやかな空の下、民の歓声が円形場にこだました。
 王都の外れにある円形場は、四階建ての広大な建物だ。場内はすり鉢状に観客席が配置され、最大で四万人も収容できる。中心部には舞台が設けられており、普段は闘鶏などの出し物や式典に使われていた。
 舞台が見やすい一階部分は、王宮で働く重職者や、他国からの来賓にしか解放されていない。二階には地方の役人や諸侯たち、三階からようやく民も席を購入できるという、身分による明確な階層わけがなされている。
 シェブロンの王ともなれば、一階席の中でも特別な部屋へ通され、民からは見られないようにするのが道理であったが、その日だけは違った。
 二階部分からせり出している、手すりで囲まれた狭い舞台に、青の王が姿を現した。客席を埋め尽くしていた観客が割れんばかりの拍手で出迎えた。
『葡萄酒祭り』の初日を祝う式典の始まりだ。これまでにないほどの規模の式典で、各省庁の重職者や、地方から参じた諸侯たち、隣国であるサルタイアーの官職までもが顔をそろえていた。
 青の王に続いてセーブルも姿をあらわした。長い黒髪をなびかせ、祭りだというのにいつも通りの陰気な顔だった。
 対照的に、あとに続いたギュールズは、観客席に屈託のない笑顔を向けている。三人とも、遠目にもその存在が際立つようにと、式典用の正装よりもさらに華美な衣装を身にまとっていた。
 その上に、装身具をふんだんに身に着けて、パーピュアが颯爽とあらわれた。めずらしく、女性らしい化粧をしている。暴力的なまでの美貌を武器に、冷ややかに微笑む女王が片手を上げると、観客の盛り上がりは最高潮になった。
 5人の王がそろって姿を見せる機会はめったにない。祭りよりも王を目当てに、円形場に詰めかけた民も多く、興奮するのは仕方がなかった。
 歓声に声がかき消されそうな中で、青の王は横目でパーピュアを見た。
「ヴァートはどうした」
 段取りでは、パーピュアはヴァートの後に出てくる予定だった。パーピュアは親指を立てて、背後を示した。
「観客の多さに腰が抜けたと言っていたぞ。別にいいじゃないか。誰も5人そろっていないことに気づいていないようだ」
 品の良い顔に、小馬鹿にした笑みを浮かべた。
 儀典長の仕切りにより、つつがなく祭りの開会が告げられると、王たちは一階にある特別室に移された。舞台に面した側は解放されており、見晴らしがいい。左右には緞帳が垂れ下がって衛兵が固めている。
 部屋の中に、豪奢な造りの椅子が、間隔を開けて置かれていた。中央には青の王が座り、左手にはパーピュアとセーブル、右手にはギュールズが並んで腰を下ろした。
 緑の宮殿の近衛隊長であるレネットに支えられて、やっと姿を現したセージは、崩れるように大理石の床に両ひざをつき、頭を下げた。
「すみません、すみません! 足がすくんでしまって!」
 半泣きで謝る姿は命乞いをする奴隷のようで、王のひとりだと言っても誰も信じないだろう。
 レネットも痛ましい顔で、自らも頭を下げた。部屋から出て行くように合図すると、黙って従った。
 セージは腰まで伸びた黒髪を、後頭部でひとつに結んでいる。髪の癖が強くてうねっているせいか、頭を下げるたびに毛先が揺れて、獣の尾のようだった。
「そんなていたらくで、最後の挨拶を務められるのか」
 今日から十日間続く、祭りの最終日には、閉会の式典が予定されていた。祭りには西方で造られた葡萄酒が多く提供されているので、西方を治めるセージに挨拶を任せていたが。
「お、お任せくだ……あの、がんばります……っ!」
 勢いだけの頼りない返事をして、こぶしを握るセージを見ていると、考え直したほうがいいかもしれない。
 パーピュアが行儀悪く脚を組み、かたわらの侍従を手招きした。見目の良い侍従に、ガラスの器を差し出して葡萄酒を注がせた。
「挨拶はシアンにやらせればいいだろう。この祭りはあいつの発案なのだから適任だ」
 よく通る声でそう言うと酒をあおった。
「祭りの後半には、サルタイアーの国王までやってくるとか? たかが祭りに他国まで巻き込むとは、いよいよシアンも油断ならなくなってきたな。6人目の王になるつもりならまだ可愛げがあるが、あいつはわたしたちを従える気じゃないのか?」
 セーブルが苦笑した。
「6人目の王、などという戯言は冗談でも笑えませんよ」
 パーピュアは、隣に座るセーブルに流し目を送った。
「そうか? 王を影で操り、自らが5人の目の王に成り代わる気だと言った方が、おもしろかったか」
「……ふん、かつての紫の宰相は、貴女に似て不遜ですね」
「セーブル王は特に気をつけたほうがいい。まだ十代だったシアンに翻弄されて、パーディシャーの地位を失っただろう? きっと、操りやすい王だと思われているぞ」
 どす黒い火花が散る中、ギュールズが焦ったようにくちを開いた。
「シアン様に思惑があるとしても、この国を思ってのことですよ。祭りを機にサルタイアーとの親交が深まるならなによりではありませんか。それに、この祭りの目的のひとつは、西方の再建では?」
 ギュールズがちらりとこちらを見た。
 祭りの発端はセージの泣き言だった。西方では葡萄酒の製造が盛んだが、流通経路を確保できておらず、緑の宮殿ではつねに在庫を抱えていた。
 再建のために国庫から莫大な銀貨を借り入れており、返済のめども立っていなかったところに、葡萄酒祭りの開催を提案したのはシアンだ。
 シアンは持ち前の手際の良さで、豊穣を祈るための祭りを開くと周知した。豊富に生る葡萄の木にあやかれるようにと、葡萄酒での乾杯を祭りの作法にねじ込み、葡萄酒の大量消費を約束した。
 おりしも、サルタイアーとの国境をまたいだ広大な交易路が建設中で、祭りの目玉としてサルタイアーの貿易団を呼び寄せて、街中にバザールを開くことで、交易路に対する民の期待をあおった。
 閉会の挨拶をセージに任せたのも、すっかり地に堕ちている、緑の王の評判を回復させるためだろう。
 セージは弾んだ声で、ギュールズに答えた。
「ええ、シアン様のおかげなんです! 祭りのおかげで返済もなんとかなりそうでホッとしました!」
 ギュールズがにこりと微笑んで、椅子から立ち上がると、セージに手を差し伸べた。自然に立ち上がらせて、椅子の前までいざなった。
「良かったね。困っていると言っていたから、心配していたんだよ」
「ありがとうございます……!」
 のんきにほおを染め合うふたりを見て、パーピュアは聞こえよがしに舌打ちした。
「シアンに操りやすいと思われているのは、やはりヴァートのほうだったか」
 パーピュアはほおづえをついた。
「それにしても、シアンはどうした。姿が見えないが、まさか自国の王を放ってサルタイアーの側近どもの席で尻尾を振っているのか?」
「王宮だ。急な会合が入ったので置いてきた」
「ほう?」
 セージが「あっ」と声を上げた。慌てたようすで、肘置きをつかんで身を乗り出した。
「もしかして、水道省の役人との会合のせいですか!? 出掛けにウィロウが、急にサルタイアーに行くことになったから青の宮殿に行くって言ってて……あ、ウィロウっていうのは、私の臣下で水道長官をしているんですけど」
 最後の台詞は青の王以外に向けた説明で、いらないことまでペラペラと話すセージをにらみつけたが、遅かった。パーピュアが思わせぶりな口調で言った。
「なるほど、水道長官との会合があるなら、シアンは当然、そちらを優先するだろうなあ」
 青の王は椅子から立った。
「私も会合に顔を出さなくてはならないので、王宮へ戻るとしよう。サルタイアーの重臣たちは、あとでカテドラルへ招く手はずになっているので気にしなくていい。おまえたちも好きな時に戻れ」
「えっ、このあとの演劇を見て行かれないのですか」
 セージが驚いたように言った。
 パーピュアが「演劇? そんなものがあるのか」と興味をひかれたようにセージを見た。
「はい、三部作の悲劇で、すべて繋がってひとつの物語になっているそうですよ! 今日は『現在』だけの上演で……」
「現在?」
「あ、『現在』『過去』『未来』という三つの演目なんです。円形場では祭りが終わるまで、順番通りに繰り返し上演されるのだとか」
「それなら、今日は序章だけか。終わりがわからないなんて気持ちが悪くないか? しかも悲劇とは、来賓のサルタイアーの官職どもも気を悪くしそうだが」
「そ、そうでしょうか? すごく面白そうだと思ったんですけど……」
青の王は見かねてくちを挟んだ。
「サルタイアーから呼び寄せた劇団だ。王の御前に呼ばれたほど人気がある演目で、当然、サルタイアーの官職者たちは、これまでにも目にしている。その上で宴席に呼び寄せたのだから、出来には自信があるのだろう」
「ふうん? そこまで言われたら見ていくか」
 パーピュアが椅子の背にもたれて笑みを浮かべると、ギュールズも目を輝かせて、「面白そうですね。私も演劇を見てから帰ります」と言った。
セージは元気よく「はいっ! 俺もすごく楽しみにしていたんです!」と言った。
青の王が席を外すと、円形場を出たところで後ろからセーブルがやってきた。
「演劇は見なくていいのか?」
「貴方と同じでなにかと忙しい身で。それに、正直に言いますと嫌いなのですよ――悲劇は」
 セーブルは薄気味の悪い笑みを浮かべて、馬車に乗り込んだ。

 青の宮殿では、まだ水道省との会合が行われていた。
 いよいよサルタイアーの国内でも交易路の工事に着手することになり、水道省の役人に指揮を任せたいとの申し出があったためだ。急遽、視察団の人選を行うことになった。
 一団の名前の中に、水道長官であるウィロウもいた。ウィロウは長期の視察から戻ったばかりで、水道長官自らが遠方に赴くことにシアンは反対していた。しかし、ウィロウはいつも通りの礼儀知らずな態度で反発した。
「水道省は副長官に任せてあるし、あんたにとやかく言われる筋合いはないだろ!」
 険悪な空気に、同席した水道省の役人たちがそろって顔色を青くするという――私情の飛び交う会合が終わると、青の王は深いため息をついた。
 廊下に出て、帰っていく水道省の役人たちを見送ると、スクワルがことさら明るく、シアンに話しかけた。
「いやあ、でも俺は安心しましたよ。シアン様、会合の前に『久しぶりにウィロウに会うから興奮する』って言ってたじゃないっすか。なにかしでかすかとハラハラしてましたけど、あれはやっぱり冗談だったんですね。あんまり真剣に言うから、見事に騙されましたよ」
 シアンは返事をしなかった。
 スクワルの話にはまったく興味がなさそうに、あごに手を当てて考え込んでいたが、ぼそりとつぶやいた。
「会合のあいだ気になっていたんだが……ウィロウは服を着ていたか?」
 スクワルが絶句して、よろけた。助けを求めるように、無言でこちらに視線をよこす。
 ウィロウは平服で会合に出席したこともある無精者だが、今日のところは水道長官らしく正装を着こんでいて、それはともかく。
「少なくとも、裸ではないようだったが」と、仕方なく声をかけた。
「それならいいのですが……」
 切れ者との呼び声の高い男は、眉間にしわを寄せて、ウィロウの後姿を不安げに見守っている。
 さっきまでの会合では、聞いているほうが胃が痛くなりそうなほど、辛辣に当たっていたはずなのに、信じられないほどの変わり身だ。スクワルがまた、絶望的な顔でこちらを見たが、今度こそ無視した。こんなくだらない会話を続けたくない。
 シアンがウィロウと結婚したという話を、言葉通りに信じている者は少ない。
 水道長官として利用しているだけだとか、自分に敵意を持つ者に対して、囮のように見せびらかしているだけだというのが通説だが、シアンのトチ狂った言動を見ている限り、そうとも思えないので頭が痛い。
 スクワルは泣き出しそうな顔でくちを押さえて、「あんた、働きすぎなんすよ……そこまで、思いつめる前にさっさとウィロウと会えばいいじゃないですか」と憐れんだ。
「青の宰相がもう少し有能ならば、私も休暇を取れたと思うが?」
「……ええと、言い訳させてもらってもいいっすか」
「その、みっともない喋り方もやめろと言ったはずだ。おまえは青の宰相なのだから、いつまでも、近衛兵だった時と同じつもりでいるんじゃない」
「宰相としての貫禄が足りないってことなら、ヒゲでもはやしてみましょうかね?」
 わざとらしくしらばっくれてあごを撫でると、シアンが凍てつきそうな目でにらんだ。
「私は冗談が好きじゃない」
「……そうだ、葡萄酒祭りにウィロウを誘ったらどうです」
 スクワルが震えながら提案した。
「たしか今日の式典で、サルタイアーの劇が上演されるんじゃなかったですっけ? 民の話題はこれでもちきりっすよ。ウィロウのやつ、こういう目新しい出し物が好きでしょ」
 あからさまな機嫌取りだったが、シアンが返事に困るのはめずらしい。スクワルは見込みがあると踏んだのか、いかつい顔に柔和な笑みを浮かべた。
「視察団の出発は明日の午後ですから、今日ならあいつも時間があるはずです! ウィロウを呼び止めておきますよ」
「……だが、出発準備があると言って、断られそうな予感がする」
「またまた、なに言ってんすか。ウィロウはあんたに誘われたら断れないでしょ」
 シアンは小さな声で「そうか?」と答えて、ほおにかかっていた髪を、右耳にかけた。
 無意識のしぐさかもしれないが、以前まではなかった癖だ。北方から帰ってきて以来、時々、そうやって髪にさわるふりをしながら、指先で耳たぶにふれて、白銀製の耳飾りをたしかめている。
 耳飾りの片方はウィロウが左耳につけていて、あえて理由を聞いたことはないが、おそらくは、ふうふで揃いの装身具を身に着けるという流行りにのっとっているのだろう。
 ウィロウが裸に見えると大真面目に言うよりも、露骨に執着を見せびらかすよりも、そうしたささやかな変化の方が、よほど重症に思える。
「円形場へ行くなら、サルタイアーの重臣をもてなす宴の段取りを引き継いでいけ」
声をかけると、シアンはいつもの無表情に戻って、「お部屋で」と答えた。
 スクワルと別れて自室に向かおうとした。シアンが足を止めて振り向いた。
「明日、視察団の出発前に馬車が宮殿に寄るように手配しておけ。それから、私は朝議には出ないから部屋に呼びに来るなよ」
「――そういうのは、こっちで気をきかせますから、いちいち言わんでください!」
 やけくそのように怒鳴るのを見て、シアンは皮肉げに微笑んだ。
「青の宰相は有能だな」
posted by eniwa at 00:00| トリロジー