2017年05月14日

第二部 黒の王 -24-

 侍女長に付き添われて、ハリームに足を踏み入れた。
 いくつかの部屋がある中、最も大きな部屋が王を迎え入れるための場となっており、今夜、黒の姫となる術師のセテムもそこにいるはずだ。セテムを抱くのか、抱かれるのかはまだ決めていない。
 どちらでも大した差はなく、私はただ、能力をよみがえらせたいだけだ。パーディシャーにふさわしい力を得て、臣下を従えたいだけだった。
 声がして、足を止めた。来た道を振り向くと、侍女長が「どうなさいました?」と怪訝な顔をした。
「聞こえなかったか?」
 こんなに大きく呼びかけられているのに。後頭部がずきりと痛んで、まわりにいた侍女たちが廊下にうずくまった。
「シャー、お待ちください!」
 頭を貫くような『声』だ。息を切らせてあらわれたのはレドだった。ハリームに王以外の男が入るのはご法度で、目を疑った。
 仮面をつけフードを深くかぶった異様な男の出現で、侍女たちは悲鳴を上げたが、侍女長が「静まりなさい!」と一喝した。レドは両手で私の肩をつかむと、「お願いです、考え直してください。男に抱かれるなんて、そんなのはいけません!」と怒鳴った。
「……どうしておまえに」
 そんなことを言われなければならないのだ。
「おまえに断られたから、私は……」
 みじめでたまらなくて涙が浮かんできた。レドは虚を突かれたように、ぱっと私の肩から手を離した。身体を強張らせていたが、次の瞬間、両腕に私を抱き上げると、ハリームの奥に向かって走った。
 大きな扉を開けて中に駆け込むと、石造りの床に私を座らせて内側から鍵を下ろした。そこは行為の後に湯浴みをするための場所で、ほのかに湯気が立ち込め、花の香りがしている。
 レドは私のそばに腰を下ろした。仮面を外して、思いつめた声で語り始めた。
「ファルコンから聞きました。シャーには忘れられない男性がいると。いなくなった後もずっと思い続けているから、男性を黒の姫にはしないのだと……愛するひとがいるのに、好きでもない相手に抱かれてはいけません」
 呆然としていると、レドは私を壁に押し付けた。湯気で湿った壁にほおをぶつけてしまい、眉をひそめると顔を近づけられた。耳に息がかかって、あまりの近さにびくりと震えた。
「好きでもないのに、男を惑わすようなことを言ってはいけません。勘違いしてしまいそうになる」
 それはセテムの話ではなかった。レドを誘惑したことを、責められていた。
「――力がなくなったんです」
 誰にも言っていない秘密を告白した。
「神の力が無くなったら、私はただの男になってしまう。なんの取得もない私に、臣下が大人しくついてきてくれるとは思えない。祖父の……前王のような圧倒的な力がなければ、彼らを従えられないんだ」
 赤の王の母親を処刑した時のように、彼らの言いなりになってしまう。あんな無力さを味わうのはもう嫌だ。傀儡に落ちれば、いつかアジュールのように、王として振る舞うことをあきらめてしまいそうだ。
「怖い……」
 手を強く握りしめられた。レドは私の手の甲のティンクチャーを親指でなぞった。
「顔を上げてください。誰がなんと言おうと、あなたはパーディシャーです。この国で最も、力を持つお方です。もしも逆らう者がいたらその時は――私が罰します。私の『声』であなたを守ります。だからもう、ひとりで苦しまないでください」
 抱きしめてほしかった。そんなふうに思ってしまう自分が情けなかった。

――どんな姿になっても、変わらない。キミは、かわいい。

 歳を取ってヒゲが生えても、どれだけ見た目が変わっても、中身が同じなら好きだと言ってくれた男を、今でもこんなに愛しているのに。
 私も同じように、オブシディアンの外見がどれほど醜くても、その器に宿っているのが彼なら丸ごと愛せると、思っていたはずなのに。レドの心は、オブシディアンではないとわかっているのに、抱きしめてほしいと思ってしまう。
 ゆっくりと顔を動かして、レドにくちづけた。彼は逃げなくて、私にされるままになっていて、受け入れられる喜びで胸が高鳴った。
「もう、ひとりは嫌だ」
「私がいます。あなたの片腕となり、かならずお役に立ちます」
「……レド、なぐさめてくれ。私は寂しい」
 力を欲して、黒の姫になれと言った時とは違った。
 オブシディアンを失った時から寂しくてたまらなかった。別人でもいいから、胸に空いた空洞を埋めてほしかった。その空洞は、レドとまったく同じかたちをしている。
 今度はレドからくちづけられた。舌を受け入れながら、床に押し倒された。
 間違い探しをしているみたいだった。オブシディアンはこんなふうに積極的にさわらなかった。思い出に目をつむって、男の背に腕をまわした。


 レドと寝ても力は回復しなかった。それでも、私の気持ちは穏やかで、オブシディアンの代わりにレドに抱かれているという、ささやかな罪悪感さえ見ないふりをすれば、すべて上手くいっていた。
 黒の姫としてハリームに住まわせておきたかったが、閉じ込めるのは気が引けて、近衛として私の身の回りの警護をさせることにした。
 ファルコンの部隊から外したので、文句のひとつも覚悟したが、意外にもファルコンはレドを近衛にすることに賛成した。レドとふたりで過ごしているとちょっかいをかけてくるくらいで、敵意が丸出しというわけではなかったので、次第に三人で過ごす時間が増えた。それは、今までにないくらい穏やかな日々だった。
 私は新しい青の王の動向を見張るため、間諜を青の宮殿に送り込んだ。人選はファルコンに任せると、選ばれたのはスクワルだった。
 黒の宮殿に来てまだ日が浅いので、もし間諜だと気づかれて捕らえられても、黒の宮殿の情報が漏れることはないだろう。なにより、ファルコンが妙にスクワルを買っていた。期待に応えるように、首尾よく青の近衛に潜り込んだ男は、それから三年近く、へまをすることもなかった。
 そんな折、パーピュアの訃報が舞い込んできた。
 非常にめずらしいことに、ファルコンのトオミを使う間もなく、すぐに新しい王が見つかった。十九歳の女性で、紫の宮殿のハリームで暮らす側女だった。
 驚いたことに、彼女はパーピュアを刺し殺していた。手の甲の紫色のティンクチャーがあらわれるのが、もう少し遅かったら警備兵に殺されていただろう。
 おそらくは、パーピュアの虐待に耐えかねて殺したのだろうという話で、私は子どもの頃に出会った紫の姫を思い出した。彼女の身体にもひどい傷があった。
 王殺しという重罪は見過ごせないが、紫の王になった彼女をファウンテンは捕らえることが出来ない。王を裁けるのは王だけだった。
 紫の宮殿には、彼女を処刑して次の王があらわれるのを待った方がいいのではないかと言う者もいた。若い女などに仕えるよりも、次の王に期待したいと。替えのきく消耗品のように言われたことで、私は決意した。
 彼女の罪を隠すことにした。他の王たちにも知られないように、紫の宮殿に箝口令を敷いて、前王を病死として葬った。前王を殺して誕生した王なんて、そんな醜聞は外に洩らせない。
 彼女にも他言しないよう言い含めるため、カテドラルに呼び出した。王の会合に使われる広間で待っていると、新しい王があらわれた。
 背が高く、中性的な顔立ちをしていたので、女性だと聞いていなければ気づかなかったかもしれない。肩で切りそろえられた金髪が、さらりと揺れる。
 透けるような白い肌も、冷たく感じるほど整った顔立ちも、他人を寄せ付けない雰囲気があったが、目を離せなくなるほど、恐ろしく綺麗であることは間違いなかった。
 私は勢いよく椅子から立ち上がった。
「紫の姫……!?」
 目にしているものが信じられなかった。最後に顔を合わせてから十年近くが経ち、すっかり大人びてはいたが、彼女の顔には面影が残っている。なにより、あれだけ美しかった少女の顔を、見間違えるわけがない。
 突き動かされるように彼女に駆け寄って、肩をつかんだ。細い肩は女性らしく華奢だった。
「無事だったのですか! 急に会いに来なくなったので、紫の宮殿でなにかあったのではないかと心配したのですよ!」
 興奮して話しかけたが、彼女の整った顔には、やはりなんの感情も浮かんでいなかった。
 間近で見下ろして、あることに気がついた。紫の姫は右目が空色、左目は鮮やかな紫色という印象的な瞳をしていたはずだが、彼女の瞳は両方とも空色だ。両目の色が違うなんて、それまで見たこともなかったのでよく覚えている。
「……紫の姫?」
 ふいに、彼女がくちの端を持ち上げて、にやりと笑みを浮かべた。人形に急に魂が宿ったような、急激な変化だった。
「おまえがパーディシャーか。妹から話は聞いていたが、たしかにぼんくらな顔つきだ」
 あっけに取られていると、彼女は肩をつかんでいた私の手を振り払った。乱暴なしぐさに、男の子のようだった紫の姫の姿を重ねたが、彼女が言っているのはつまり。
「……妹?」
「おまえが会ったのは、わたしの双子の妹だよ。妹は前王に命じられて、パーディシャーをたぶらかすために、黒の宮殿に潜り込んだ。前王は『紫の女に手を出した』と言いがかりをつけて、おまえを葬るつもりだったんだ」
 そう言われても、目の前にいる女が、紫の姫とは別人だとは到底思えなかった。瞳の色を除けば、笑い方さえも記憶の中の女の子と同じだった。しかし、彼女が「まあ、妹が反抗したせいで目論見はとん挫したが」と続けたので、我に返った。
「反抗とは? あの子はどうなったのですか!?」
「妹は任務をしくじり殺された。ぼんくらに肩入れした結果だ」
 そっけなく言われて、息を飲んだ。
「少しばかり優しくされたからといって、おまえなどに肩入れしなければ、あの子は今でもわたしとともに生きていたはずだ」
 彼女の瞳に、強い光が灯った。まるで仇を見るような目で私を見上げていて、その敵意にたじろいだ。
 ようやく気付いた。彼女にとっては、私は妹を死に追いやった男だ。彼女が刺し殺したパーピュアと、同じくらい憎い相手なのかもしれない。
 後ずさった私を追い詰めるように、彼女は細い人差し指で、私の胸を押した。ほんのわずかに、ふれられたところから身体じゅうに緊張が広がった。
「昔話はまたにしてやろう。パーディシャーは、こんなところで暇を潰している場合ではないかと思うが?」
 含みのある言い方に戸惑った。
「異教徒狩りの鎮圧に手間取っているのだろう。あんな勝手を放置していたら、いずれこの国は亡びるぞ」
 寒気がするほど美しい顔で微笑まれて、背筋がぞっとした。
 黒の宮殿に戻ると、レドが迎えてくれた。レドは私を見下ろして、心配そうに言った。
「シャー、お顔の色が優れないようですが、なにかありましたか」
 思わず、紫の姫が死んでいたことを話してしまいそうになった。
「いや……なんでもないよ」
 紫の姫を心配していたのはオブシディアンで、レドにとっては会ったこともない少女だ。自分だけの胸のしまうしかない。さらに不安を掻き立てられたのは、『異教徒狩り』という耳慣れない言葉だった。
 宰相に尋ねると、彼は眉をひそめて「何のことかわかりませんが」と答えた。
 紫の王が適当な話をしたのだろうとも思ったが、数日が経っても焦燥感は消えず、ついに、側近を集めた会合で列席者を問いただした。
 ある側近が、ひたいに浮かんだ汗を拭きながら話し出した。
「数年前から、国内の各地で異教徒狩りと称した騒動が起きています。『オーア神を崇めない者』という理由で、他国からの移住者の身柄を拘束して、財産を没収しているようなのです。捕らえた者を奴隷にしているという話も聞いています」
 考えもしなかった話を聞いて、「馬鹿な……!」と怒鳴った。
「諸侯はなにをやっているのだ。無頼漢を捕えるよう、黒の軍に指示は出したのか!?」
「それが、異教徒狩りの中心は軍属の兵で……軍の上層部や諸侯にも賛同する者が多いため、報告があっても見ぬふりをしたり、むしろ力を貸していたようです。兵を捕まえるのであれば、諸侯たちの処遇も考えねばなりません」
「諸侯までが……」
 足元から崩れていくような気がした。これがおおやけになれば、対外国との関係は崩壊し、交易にも甚大な影響が出るだろう。
「おまえたちは知っていたのか!? 知っていて、私には黙っていたのか!?」
 ひとりの側近が、宰相の顔をちらりと見てから、肩をすくめて語り出した。
「当然、シャーはご存知だと思っていました」
「なんだと?」
「宰相殿がシャーに献上した術師の男も、異教徒狩りで奴隷にされた異国の民でしょう。東方に隣接したヴェア・アンプワントでは、術師と同じ能力を持つ者が多く生まれるのだとか」
 頭を殴られた気がした。私は恐る恐る、隣に座っている宰相を見た。
「セテムは……ヴェア・アンプワントの民だったのか」
「異国の言葉を話していたでしょう。あの術師は言語の違いに関わらず、『声』で意志を伝えられるようでしたから、お気づきになりませんでしたか? ああ、そういえばハリームでは、王の興を削がないように、側女に無駄話をするなと言い聞かせていたのでしたね」
 下卑た笑みを浮かべた。無理やり連れてきたのかと尋ねると、宰相はそれまでの従順な態度を翻して、突き放すように言った。
「術師を望まれたのはシャーでしょう。一体、どこから術師をかき集めたと思っていたのですか」
 セテムだけではなかった。三年前、彼と同時期に集められた黒の姫たちはみな、異教徒狩りによって捕らえられた術師だった。
 手足が震え始めた。セテムを連れてきた褒美として、彼に宰相の地位を与えた。つまりそれは、私が『異教徒狩り』を指示したと思われても、仕方がないということだ。
 顔色を失くした私とは対照的に、宰相は晴れやかな声を出した。
「術師を集めよという、パーディシャーのお考えは素晴らしかったです。他の宮殿が術師を獲得すれば、強大な力を得てしまいますから。危険の芽は早めに摘んでおかねばなりません。たとえ――シャーのお身内であっても、ファルコン隊長やレド様のように役立てるおつもりがないのであれば、存在してはいけないのです」
 悲鳴を上げそうになった。私はふたり以外の兄弟を、王宮から追放した。レイヴンが亡くなった後も、兄弟で身を寄せ合って暮らしていると聞いていた。彼らはみな、術師だった。
「兄弟たちになにをしたんだ!?」
 宰相は鼻を鳴らして、「何度も進言したのに、あなたが、ご兄弟だけは黒の姫にしたくないとおっしゃったのですよ。ですから、排除したまでです。能力が強かったのに、もったいないことをしました」と言った。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー