2017年05月10日

第二部 黒の王 -23-

「スクワルと申します。この国の頂点であらせられるパーディシャーに、お仕えしたい一念で王都に参りました。お目にかかれて光栄です!」
 屈託なく頭を下げる男を見つめるうちに、胸の奥に怒りがわいた。
「発言を許した覚えは無い。一兵卒らしく立場をわきまえろ」
 ファルコンをにらみ、「おまえも自分の部下くらい躾けておけ」と嫌味を言った。
 スクワルはぱっと顔を上げた。腕を背中で組み、直立不動の姿勢を取ったが、表情には気を悪くしたふうも困惑の色も浮かんでおらず、新兵らしくない図太さをかいま見せた。
 叱責に堪えたようすがないので、さらに苛立った。
「宴は始まったばかりだというのに、ふたりでどこへ行こうとしていたんだ」
 尖った口調で尋ねると、レドが急いで答えた。
「ファルコン……隊長が退席されたままでしたので、お呼びしようと思いました。シャーにお会いしているとは気づかず、失礼しました。我々はすぐに宴席に戻ります」
 かたわらのスクワルを気にしているのか、レドもかしこまって答えた。スクワルよりもよっぽど緊張しているようだ。もしかしたら前からそうだったのかもしれない。レドは私と会う時はいつも、萎縮していた。
「ファルコンも行け。おまえの部隊のためにひらいた宴だ」
 追い払うように手を振ってから、彼らに背を向けた。その場から逃げ出したというほうが近いかもしれない。レドを見ていると、ファルコンの言葉がよみがえってきて足が震えた。
 自室の前までやってくると、両脚から力が抜けた。
 庭に面にした廊下のふちに腰を下ろすと、柱に頭をもたせかけた。真っ暗な庭を眺める。警備兵の巡回の時間も外していたので、あたりには誰もいなかった。広い庭で、オブシディアンと紫の姫と、三人で過ごした時を思い出した。
 あの時が、一番しあわせだったかもしれない。私の人生には、もうあんなに平穏な時はやってこないのかもしれない。生ぬるい夜風に吹かれながら、目を閉じて、苦くなってしまった思い出を噛みしめた。
 足音がして、目を開けた。黒いマントで身を包んだ男が近づいてきた。レドだった。
「シャー、少しのあいだお話しさせていただいてもよろしいですか」
「……許す」
 柱にもたれたままそっけなく答えると、レドはかたわらにやってきて、床に片膝をついた。
「この度のこと、謝らせてください。お伺いも立てずに王宮外に出てしまい、申し訳ありませんでした」
「……ファルコンから、おまえが『声』を使って活躍したと聞いた。能力を使うのは初めてだったのだろう。身体は大丈夫なのか?」
「私はなんともありません! 『声』は使うなと命じられていたのに……すみません。青の方の母親が彼を離そうとしなかったので」
 ためらうように言葉を切ってから、「無理に心を操って……それでも術に抗おうとしたのか、母親は気を失いました。シャーのおっしゃる通り、むやみに『声』を使うべきではなかったのかもしれません」と続けた。
 今までなら肯定していた。能力は使わず、危険には近寄らず、私の言いなりになっているのが正しいと答えていただろう。だが、しょげかえった男に別の言葉を投げかけた。
「以前にも、幼い王を王宮に渡すまいとした母親がいた。母親はファウンテンに捕らえられ、王とは二度と会えなくなった。『声』があれば違った結果になったかもしれない」
「……その母親はどうなったのですか?」
「処刑された」
 レドは息をのんだ。赤の王の母親の処刑に、手を下したのは私だ。たったひとり、殺すだけでも胸が潰れるような思いがしたのに、あれから何人殺したのだろう。宰相の首を、短剣でかき切った時の記憶が、今も薄れない。
「『声』を使わなければ、青の王とその母親も、同じ道をたどったかもしれない。上手くいったのだから胸をはれ。上手くいったから、私も王宮を抜け出したことに対して、文句を言えなくなった。それに、黙って部隊に加わったのも、どうせファルコンがそそのかしたのだろう?」
「いえ、私が兄に相談したのです! こんな身体でも……シャーのお役に立てる方法はないかと。世話されるだけの役立たずでは、おそばに置いていただく資格はありません」
 レドは思いつめたように、胸元を握りしめた。
「気にするなと言ったはずだ。おまえは事故に遭い、五歳までの記憶しか持っていなかった。私の役に立とうなどと考えず、身体を休めれば良かったんだ」
「……もう五年が経ちました。いつまでも子どものままではありません。功績を立て、あなたの臣下として認めてもらいたかったのです」
 レドはまっすぐに私を見た。たしかに五歳の子どもではなく、実年齢と同じ二十六歳の男らしい、しっかりした口調だった。
 ファルコンの言う通りだ。私はレドの中にオブシディアンの面影を探していた。地下牢に閉じ込められた記憶の無いレドは、物怖じせず、猫背をまっすぐに伸ばして歩こうとする男だった。
 そういう、オブシディアンとは似つかないところを見つけるたびに、私は苛立った。
 不恰好な木彫りの人形のように、表面のでこぼこを少しずつ均していけば、いつか思い描く通りのかたちになるだろうと、心のどこかで思っていた。いつかまたオブシディアンに会えるかもしれないと思っていた。
 勝手な望みをかけて、レドには窮屈な思いをさせてきたのだろう。私の愛した怪物はもうどこにもいない。
「わかった。今までうるさく言ってすまなかったな。これからも、ファルコンの部隊で任務にあたってくれ」
「ありがとうございます……! 精一杯、シャーにお仕えします」
 レドは口元をほころばせた。うれしくて仕方ないと言わんばかりの明るい口調に、私はまた泣きたくなった。
 これでもう、レドを止められなくなった。誰とも親しくならないように、閉じ込めておいたのに。手放さなくてはならないのが、こんなにつらいなんて。
「私は部屋へ戻る。おまえは宴に戻れ。まだファルコンも……スクワルといったか、彼も残っているだろう。彼らと祝いの席を楽しめ」
 立ち上がろうとすると、手を差し出された。
「部屋までお送りします。どうぞお手を」
 促されるままに手を重ねた。レドのてのひらは黒ずんではいるが、硬くはなかった。さわると怪我をしそうなほど硬かったはずなのに、自分でこまめに薬を塗りこんでいたのだろう。知らない感触を、指先でなぞった。
 レドは動揺したように肩を揺らすと、反対の手で仮面を押さえた。その仮面の隙間をのぞきこむように、顔を近づけた。
「仮面はつけるな。おまえを醜いと言ったことは忘れていい。あれは私の本心ではなかった。私はおまえの顔を、醜いとは思っていない」
 ささやくと、レドは裏返った声を出した。
「これはあの! ファルコンが仮面を『かっこいいから』と言って……だから決して、シャーに言われたせいではないです!」
「……かっこいいから?」
「お、おかしいでしょうか」
 よく見れば、以前は黒一色だったマントにも金糸の刺繍が施されていて、心なしか華やかになっている。極端に目立つのを嫌っていたオブシディアンと、レドは違うのだと、そんなところでも思い知らされる。
「いや……おまえによく似合っている。だが、私とふたりきりの時くらいは、仮面を外して顔を見せてくれ」
 レドの手を離して、仮面に手をかけようとした。
「いけません、私の顔は……! シャーの言う通り、私の顔はまわりのみなを不快にさせてしまいます。誰にも……あなたには一番、見られたくない」
 怖がらせたくなければ、誰にも近づくなと言い含めたのは、私だ。私の罪だ。今さら償えるはずもないが、せめて優しく言い聞かせた。
「あれは本心ではないと言ったはずだ。私はおまえの顔が好きだよ。飾り立てた姫君よりも、美しいと思っている」
 そっと仮面をはぎ取ると、醜くて愛おしい顔があらわれた。
 レドは耐えるように、うつむいたままだった。唐突に衝動が込み上げてきた。中身が別人だとわかっていても、オブシディアンとは違うとわかっていても、抑えきれない。
「私の役に立ちたいと言ったな」
 レドが顔を上げた。
「え? はい、もちろんです」
「神の血を底上げするために、ハリームに術師の力を持つ姫を集めている。力は強ければ強いほどいい。おまえの『声』は強力だ。黒の姫になって、私の役に立ってみるか」
「黒の姫に……とは?」
「私を抱く気があるのかと尋ねている」
 レドは考えるそぶりを見せてから、絶句した。しばらく黙り込んだ後、重苦しい声で「……できません」とつぶやいた。
「なぜ断る……? 私が男だからなのか。それとも、私たちが兄弟だから抱きたくはならないのか!?」
 レドは何も答えなかった。ぎくしゃくした関係が、良いふうに変わったと感じたのに。勘違いだったとわかって、焦りが込み上げてきた。雰囲気に飲まれて誘惑した自分を恥じた。
「おまえの気持ちはわかった」
 仮面を庭に投げ捨てると、微動だにしないレドをその場に残して、自室へ向かった。


 青の災厄がらみで処分した者について、他の側近たちには詳細を明かさなかった。
 それぞれの事情で、王宮を去ることになったと伝えたが、いなくなったのは宰相を初めとする重職者がほとんどだったので、しばらくのあいだ宮殿の政務は混乱を極めた。
 側近たちは空いた宰相を座をめぐり、先を争って私に取り入ろうとした。どこからかき集めてきたのか、黒の姫候補として多くの術師が献上される中、ひとりだけ気になる術師がいた。
 セテムという名の中年の小男だが『声』を使えるという。セテムを召し上げ、彼を連れてきた側近を宰相に任命すると、ファルコンは嫌悪感丸出しの表情を浮かべた。
 執務室の長椅子にどさりと腰を下ろし、行儀悪く脚を組んだ。
「男をハリームに入れるほど飢えていたとは笑えるな。まあ、おまえは元から女よりソッチのほうが好きだったか」
 露骨な嫌味を無視して、手元の書類にペンを走らせた。
 オブシディアンは私に、他者から力を奪う能力があると言った。しかし、黒の姫たちと寝ても力の回復は見られず、私は焦っていた。
 抱いた術師たちの力が弱すぎるのか、それとも相性があるのか。声の術師であればもしかしてと、セテムに最後の望みをかけていた。
「女みたいに抱く気か? それとも抱かれる気か? どちらにせよ、あんな冴えない中年を相手にするより、もっと適任がいるんじゃないのか」
 試すような口調に苛立った。ファルコンが誰のことを言わんとしているのかは、十分すぎるほどにわかっている。声の術師を相手にするなら、宮殿にはレドがいると言いたいのだろう。
 だが、レドに拒絶された今となっては、話すら聞きたくなかった。はっきり拒まれて、オブシディアンと過ごした日々さえ、否定されたような気がしていた。
 オブシディアンが悲惨な目に遭っていなかったら、私を選ばなかったかもしれないと、考えるだけでぞっとする。
 ペンを置いて席を立った。ファルコンの目の前まで行くと、「申請書はこれだけですか」と書類を渡した。
 ファルコンは無言で長椅子から立ち上がった。五年のあいだに、私の身長は年相応に伸びていたが、まだファルコンに敵わなかった。彼は背を曲げ、顔がぶつかりそうな近さで私を見下した。
「能力の強さを優先するなら、中年男よりもまずオレだろ」
「……は?」
 馬鹿にしているのかと思い、「貴方に組み敷かれるくらいなら、性具をたしなむほうがまだ満足できます」と、怨嗟を込めた目で睨み上げた。
 手首をつかまれた。ファルコンの腹に押しつけられる。
「身体だけなら同じ味がするかもしれないぞ? 顔だって、レドが普通に生きていたらオレと同じだったはずだ。オレたちは双子だからな」
 思いがけないことを言われて、目を見開いた。
 オブシディアンがファルコンと同じ姿だったらと想像した。ファルコンは男として魅力的な外見をしているが、そんな満ち足りた男を好きになっていただろうか。答えはすぐに出た。なにかが少しでも違っていたら、オブシディアンに恋はしなかった。ファルコンのように自信過剰な男だったら、好きにはならなかった。
 むなしさを覚えて、笑みを浮かべてファルコンを見上げた。
「貴方、私を抱きたいんですか?」
 ファルコンは銀色の瞳を細めた。てのひらで腹をなでると、あからさまにたじろぐ簡単な男を、内心であざ笑った。
「もしもそうなら……弟のお下がりを抱きたいほど飢えているのなら、貴方を軽蔑します」
 突き放して、部屋から追い出した。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー