2017年05月04日

第二部 黒の王 -21-

「……気が、咎める?」
 意味がわからなかった。ファルコンは過去を思い出したわけではない。
「どうして貴方に罪悪感が……?」
 笑い出しそうになった。同時に、頭をかきむしりたいほどの苛立ちが込み上げてくる。
 ファルコンはこの状況を作り出した元凶だ。それなのに、彼だけは悔恨も反省することもできない。双子の弟を祖父に売り渡した記憶がないからだ。レイヴンのように幼い弟を助けられなかったと悔いたり、オブシディアンのように檻の中で苦しんだわけでもない。
 私のように大切なものを失ってもいないくせに、ただひとり、罪の記憶が無いなんて――許せない。声が震えた。
「罪の意識に浸ってみせれば、オブシディアンへの償いになるとでも思っているのですか。偽善にまみれた罪悪感であっても?」
 ファルコンは伏せていた瞳をゆっくりと動かして、私を見た。自分が正義だと疑いもしない、強い目をしている。昔からそうだ。私を蔑む時でさえ、彼の瞳には罪悪感も迷いも浮かんだことはない。
 透き通るように綺麗な銀色の瞳を、憎らしく思った。どうしたら壊せるのだろう。どうやれば、私が味わったのと同じだけの絶望を与えられるのだろう。粉々にして、二度と立ち上がれなくなるほど踏みつぶしてしまいたい。
「わかっていますか? 多くの兄弟の中でレイヴンあにさまに疎まれていたのは、貴方だけなのですよ? お優しいあにさまでさえ、嘘で弟を陥れた貴方を許せなかった」
 ファルコンはいつだって長兄に気に入られたがっていた。だから、あえてレイヴンの名前を出した。予想通り、ファルコンは眉根を寄せて傷ついた顔をした。
 大切な者に見限られることほどつらいことはないと、わかっていた。『シャー』というだけでオブシディアンに怖がられる私には、ファルコンの気持ちが痛いほどにわかった。
「貴方が檻に入れば良かった。貴方が前王に真実を告げていれば、声の術師は自分だと正直に告げていれば、誰も苦しまずに済んだのです!」
 怒鳴り散らして、その場をあとにした。失ったものは取り戻せない。やりきれない思いをファルコンにも味わわせてやらなければ気が治まらない。私だけが不幸だなんて許せるはずがなかった。


 半年も経たず、レイヴンが亡くなったという知らせが届いたが、私には死を悼む暇もなかった。
 前王の片腕といわれていたレイヴンが王宮から去ったことで、側近たちが私欲を肥やすための政策を、恥ずかしげもなく打ち出すようになったからだ。
 それらは巧妙に、時にはあからさまに私の前に差し出された。たとえば、自分の親戚を財務長官の地位に取り立てたいとか、黒の宰相には謀反の恐れがあるとか。
 馬鹿らしかった。国の政務の中枢を担っているはずの男たちが、ほおを紅潮させて王を操ろうとし、互いの足を引っ張り合う姿はぶざまだ。
 見せしめに数名を追放すると、会合の席には緊張感が漂うようになったが、側近たちはあきらめなかった。しかし、私が神の力を使って側近を投げ飛ばすと、つまらない案を出す者はぴたりといなくなった。
 制裁を恐れる気持ちもあっただろうが、それよりも不思議な能力を持つ『王』に対する畏怖が大きかった。
 異変が起きたのは五年後。私は二十歳になっていた。
 執務室から侍従を追い払い、ひとりだけしかいないと確かめた後で、ペーパーナイフにてのひらをかざした。机に置かれたナイフはふわりと浮き上がったが、刃先が細かくカタカタと揺れた。
「……くそっ」
 こぶしを握り締めた。少し前から身体の違和感は感じていたが、今ではナイフのように小さなものすら満足に動せなくなっていた。かつては人を放り投げることだってできたのに。側近からの信頼は神の力に裏打ちされていたので、無視できない問題だ。
 考えた末、ハリームに姫を召し上げることにした。私の能力はオブシディアンと寝て得たものなので、術師と寝れば、同じ効果が得られるはずだ。
 ほどなくして数名の女の術師が連れてこられ、私は顔も見ずに全員をハリームに召し上げると決めた。ハリームを取り仕切る侍女長は、いつもの上品な笑みを忘れたように眉根を寄せた。
「黒の姫はおひとりに決められたと伺っていましたが……よろしいのですか?」
 心配してくれているようだったけれど、他に選択肢はなかった。レイヴンもいなくなり、私が頼れるのは自分自身の力だけだ。
 側近との会合で、黒の姫の話題が持ち上がるようになった。術師ばかりを集めているのは、能力を高めるためだと説明すると、追放した兄姉を王宮に戻してはどうかという話になった。
 たしかに、強い力を持つ術師は多くない。国中を探しても百人にも満たないだろう。ハリームに召し上げた女たちの能力も、レイヴンやマーリーの力には遠く及ばなかった。それならば兄姉を呼び寄せた方が――という意見はもっともだが、私はかたくなに拒んだ。
「兄姉とは寝ない。万一、私の力が枯渇したとしても彼らを王宮に戻すつもりはありません」
 側近たちは顔を見合わせたが、それ以上はなにも言わなかった。
 黒の姫を抱いても、劇的に能力が回復することはなかった。力が弱まったと周囲には悟られないように気をつけていたが、焦りは日に日に大きくなり、私はより多くの術師を求めるようになった。
 ファルコンの率いる騎馬隊にも術師の捜索を命じた。本来ならば新しい王を探すための部隊だが、ファルコンのトオミがあれば術師を探すのは難しくない。それなのに、彼は頷かなかった。
 執務室に入ってくるなり、くちの端を上げて「オレにまで命じるとは、いよいよ万策尽きたか?」とあざ笑った。私は手にしていた本を机に置くと、椅子から立ち上がった。
「貴方に謁見の許可を出したおぼえはありませんよ」
「術師を連れてくる見返りに、側近の親戚を財務長官にしてやったんだって? 今、宮殿で最も価値のある献上品は術師だと言われている。側近たちは血まなこになって術師を探しまわっているぞ」
「わかりやすくていいのではありませんか? 献上品が無ければ王に取り入れないと焦る、無能な側近を簡単に見分けられるでしょう」 
 そっけなく答えると、ファルコンの顔が引きつった。
「馬鹿をあぶり出すためだけに、術師を探せと言ってるわけじゃないだろう。それなら、オレにまで声をかける必要はない」
「ファルコン……貴方の仕事が、王の執務室に乗り込んで無駄口を叩くことだというのなら、次の会合で黒の騎馬隊の必要性を問うしかありません」
 静かに睨むと、ファルコンは怒りに満ちた表情を浮かべたが、逡巡した末に入ってきた扉に手をかけた。黙って出て行こうとしたが、最後に捨て台詞を吐いた。
「見境なくがっつくと、おかしな噂が立つんじゃねえのかって忠告してやったんだよ。力を高めるために術師を集めているなら、本当はおまえの能力が大したことがないと、疑ってる側近もいるんだって知っておけ」
 逃げるように出て行く男の背中を見ながら、脚が震えた。
 自分の立っている場所が、たよりない細い綱の上のような気がした。一歩間違えれば、真っ逆さまに落ちてしまいそうな細い綱の上にひとりで立っていて、今は片足を進めることさえ恐ろしかった。
 両手を机の上で握りしめた。手の甲には、真っ黒なオーアの模様が刻まれている。私が王だというしるしだ。
 しるしがある限り、側近は私を王だと認めざるをえない。取り立てて才覚も無い男に、仕える側近の胸の内にどんな感情がわくのか、たやすく想像がつく。この先、神の力さえも失ったと知られたらどうなってしまうのか。
 側近たちの言いなりになってしまう自分を想像して、ぞっとした。不意に、アジュールとふたりだけで話した時のことを思い出した。美しい王は軽やかに言ったのだ。

――手の甲にしるしがあるだけで、王の資質を持たない者が王になってしまう。私はもう、この国の生み出す悲劇を見たくないのです。

「……なりたくない」
 自然とつぶやいていた。青の王としての責任を放棄してしまった、アジュールのような男にだけはなりたくない。東方の統治権を返すと提案したのに、彼は考えもせずに断った。荷を背負うことを端からあきらめていたから、明るくさえ聞こえる軽やかな声で言えたのだ。
 一度の失敗ですっかりやる気を失った、弱い王にだけはなりたくない。両手を握りしめた。
「私はパーディシャーだ」
 神に選ばれた、王の中の王だ。その地位にふさわしい人間だと神が認めたのだ。
 部屋の外から宰相の声がした。入室を許すと、彼は静かに扉を開けた。白髪混じりの頭をした痩せぎすの男で、前王の頃から宰相を務めている。いつも、機嫌が悪そうに眉間にしわを寄せており、表情と同じく陰気な声で、「青の宮殿から遣いが来ました」と言った。
 手渡されたのは封蝋が施された書状で、青色の蝋には羽の生えた蛇の模様がしるされている。アジュールの王印だ。書状には、内密に話がしたいので、青の宮殿へ来てほしいと書かれている。
 通常、パーディシャーから他の宮殿に出向くことはなく、呼びつけるような内容に眉をひそめた。しかし、アジュールは体調が悪いという理由で、昨日にカテドラルで行われた王の会合を欠席していた。
 会合の席でヴァートは「どうせ体調不良なんてでまかせだ。会合すら面倒くさがるようになったか」と茶化していたが、もしかしたら本当に、自分から黒の宮殿に来られないほど体調が優れないのかもしれない。
 それに、政務に無関心なアジュールが、私になんの話があるのだろう。内密にとねんを押されているのも気になった。宰相に命じて午後の予定を変更させると、夕方には青の宮殿へ出向いた。
 青の宮殿に足を踏み入れるのは初めてだ。壁や柱が青く、塗料に微細な金属粉が含まれているのか、傾きかけた陽がかすかに反射して美しかった。
 謁見室に通されるだろうと思っていたが、意外にもアジュールの自室に案内された。侍従のあとについて廊下を歩いていくと、銀色の髪の子どもがいた。
 少年は部屋の前に立って、開いている扉から中を伺っていたようだったが、侍従が控えめに「シアン様」と名を呼ぶと、ゆっくりとこちらを振り向いた。
 十歳かそこらの少年で、アジュールによく似た綺麗な顔立ちをしている。彼は何も言わずに道を開け、床にひざをついて、頭を深く下げた。
 侍従に対する礼にしては大げさだったので、私の手の黒いティンクチャーに気づいたのだろう。驚いたふうでもなく自然な動きだったので、目ざとい子どもだと思った。
 アジュールが以前、息子がいると言っていたのを思い出した。見目が良く賢い。ヴァートが欲しがるはずだ。
 部屋に入ると、驚いたことに寝室に通された。アジュールは寝台の背もたれに上体を預けながら、「こんなところにお呼び立てして申し訳ないね」と言った。
 謝られなくても、呼び出された理由はわかった。美しかった顔は見る影もないほどやつれ、肌は土気色だ。血を吐いたのだろう、寝室にはかすかに鉄のような匂いが漂っている。
 私は寝台に近づいて、アジュールを見下ろした。もとから華奢な男だが、ひとまわり身体が小さくなってしまったような気がした。首すじも腕も、骨が浮き出るほど細くなっていて、掛け布で覆われた下半身の薄さは不安になるほどだ。
 これでは黒の宮殿どころか、謁見室まで歩くことすらできないだろう。ほんの二か月前に式典で顔を合わせた時には、いつも通りの華やかさだったのに、考えられないような急激な変化だった。
「一体、何があったのですか?」
 アジュールは私の背後にそっと目をやって、「お人払いを。ふたりだけで話させてください」と言った。
 私は侍従たちに寝室から出るように命じると、寝台のかたわらに置かれていた椅子に腰を下ろした。私たちの他に誰もいなくなると、アジュールはようやく話し出した。
「血の病です。医師が言うには、神の血が流れている者の多くが罹る病だとか」
 話には聞いたことがあった。王だけではなく術師の中にも同じ病で命を落とす者が多い。治療法も薬も見つかっておらず、病の進行に差はあっても、発症すれば必ず死ぬと言われている。
 アジュールは淡々と、「私は進行が早かったようです。身体はもう持ちません。今日か明日か、それくらいでしょう」と言った。
 話すだけでも辛そうなようすは、たしかに命が尽きかけているように思えて、いたわる言葉も見つからなかった。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー