2017年03月24日

第二部 黒の王 -20-

 オブシディアンが歩いたところは、身体から流れ出た血で染まり、真っ黒な道が作られていた。その道はまっすぐにファルコンへ向かっていた。
「オレが兄だと? 冗談きついぜ、怪物」
 ファルコンは地面につばを吐いた。悪態をついてはいるが、馬車から落ちた時の傷が痛むのか、わき腹を押さえており、ひたいには汗が浮いていた。剣を構えている腕もかすかに震えている。
「覚えていないのは、おまえの記憶を消したからだ」
「それがうさんくさいって言ってるんだ! 適当な過去をでっちあげてオレを惑わせる気か!?」
 オブシディアンは自分のこめかみに人差し指をあてた。
「頭の中に、檻を作る。檻の中に記憶を閉じ込める……できただろう? 私にやり方を教えたのは、ファルコンだ」
 そう言って、今度は人差し指をファルコンの顔に向けた。
「あの日まで、私たちはすべて同じだった。能力まで同じだった。トオミも『声』も、どちらも役に立たないほど弱かった。だが突然、ファルコンの『声』が開花した。侍女に叱られそうになった時に、彼女の記憶を消してみせた。そしてシャーがやってきて、私たちに尋ねた。声が使えるのはどちらだ、と。侍女を操ったことを叱られるのだと思って、私たちは怯えた。だからおまえは……」

――『声』が使えるのは弟です。オレはトオミしか使えません。
 
「おまえは私を『声』で操り、シャーに真実を告げられないようにした。その日から、私の地獄は始まった。私の弱々しい『声』ではシャーは満足しなかった。もっと強いはずだと、私に迫った」
 子どものついた他愛の無い嘘だ。だが、それは双子の人生をわけた嘘になった。
 ファルコンは不信感を顔ににじませながら、ちらりと周囲に視線を走らせた。いつの間にか、数名の兵が双子を包囲している。馬車を警護していた兵たちだ。
 兵はオブシディアンには気づかれないように、木立に身を隠している。取り押さえる機会を伺っているようだった。
 オブシディアンはだらりと肩を落とし、猫背をさらに丸めた。
「……思い出せなくてもいい。ファルコン、剣を渡せ」
 剣を持っていたファルコンの右腕が、震え始めた。命令に抗おうとしているのが、見てとれる。手放しそうになった剣の柄を、左手でつかもうとしたが、その前に剣が地面に落ちた。
 オブシディアンが身をかがめて、剣を拾い上げた。ゆったりとした動きで、ファルコンの首に剣先を突きつけた。
「この日を待っていた」
 兵たちがいっせいに木立から飛び出し、オブシディアンに襲い掛かった。私は立ち上がって、声をあげた。
「逃げろ、オブシディアン!」
 飛び掛かろうとした兵たちの動きが、ぴたりと止まった。先ほどのレイヴンと同じように、次々に地面に倒れ込み、頭を押さえている。
 オブシディアンは虫けらのように地面をのたうち回る兵を見下ろして、「邪魔だ」と言った。『声』という最強の能力の前では、兵たちは無力だった。オブシディアンを止めることはできなかった。
 ファルコンの首に剣先が食い込む。
 私は両手をファルコンに向けた。広げた手の指の向こうに、ファルコンの横顔がある。物を浮かび上がらせることができるのだから、できるはずだ。
 そう信じて、離れた場所にいるファルコンの首に、照準を合わせた。指の隙間から見える首の輪郭を、両手で握りしめる。てのひらに重みが伝わってきた。
 いきおいよく両腕を持ち上げた。オブシディアンの剣先から、ファルコンの姿がふっと消えた。
 ファルコンの身体は、オブシディアンの頭上高くに浮かんでいた。自分の首を締め上げている、目には見えないなにかを引きはがそうと、脚をばたつかせている。
 ファルコンがもがくたび、私の両腕は重みにきしんだ。素手で魚を生け捕りにしているような感覚だった。
 オブシディアンは呆然と空中を見上げてから、私のほうに顔だけを向けた。
「邪魔だと、言った」
「貴方が手を汚すくらいなら、私がファルコンを殺してあげます! このまま窒息するまで待ちますか!? それとも、地面に叩きつけられて死ぬところが見たいですか!? 貴方の気が済むように殺してあげますから、言ってみなさい!」
 両腕にかかる重みで、肩が悲鳴を上げて、腕が痙攣しだした。宙に浮かばせたままにするのは、投げ飛ばすよりも集中力がいる。頭がひどく痛み、全身からは冷汗が吹き出た。
「答えなさい、オブシディアン! どんな死にざまを見れば、貴方の恨みは晴れるのですか!?」
 宙に浮かぶファルコンの身体が大きくわななき、もがくのを止めた。
 手足から力が抜け、死が近づいているのがわかった。オブシディアンはもう一度、宙に浮かんでいる男を見上げた。
「何度も……何度も、何度も、檻を作った。裏切られた記憶を閉じ込めて、忘れてしまおうとした。だがファルコンは何度も檻から出てきてしまう。思い出したくなければ、殺すしか、ないんだ」
「大丈夫です」
 優しく微笑むと、オブシディアンはまた私を見た。
「大丈夫、貴方がつらい思いをするくらいなら、私が邪魔なものをすべて消してあげます。ファルコンが憎いのでしょう? 復讐しなければ耐えられないくらい、苦しいのでしょう? そんな気持ちを抱えて生きていても、地下牢に閉じ込められているのと変わりません。外に出してあげると言ったでしょう? 信じなさい、貴方を守るためなら、私はなんだってやります」
「……だめだ」
 ぽつりとつぶやいた。それから、首を横に振った。
「キミはだめだ。キミは殺すな!」
 頭の芯がキンと痛んだ。
 両手から力が抜けて、その場にひざをついた。
 ファルコンの身体がどさりと地面に落ちた。脚が動いたので息はあるはずだが、オブシディアンはとどめを刺そうとはしなかった。
 もうファルコンを見ていなかった。私だけを見て、目の前にやってきた。暗くて顔がよく見えない。深く被っている黒いフードから、透明なしずくがぽたぽたと落ちてきた。
「キミは、殺したいのかと聞いた。殺したい。憎くてたまらない。だけど殺したら、キミのそばにはいられなくなる。殺したかった。でも、キミのそばにいられなくなるのは、嫌だった。もう、思い出したくなかった。思い出すと、おかしくなってしまう。忘れようとして、でもうまくいかなかった」
 オブシディアンは涙混じりの声で続けた。
「キミが私を救ってくれた。『声』を使わなくても、醜くても、優しくしてくれた。この日々が続けばいいと、願っていた。終わらせるのが、嫌だった。終わらせる方法を……知っていたのに、使えなかった」
 手を伸ばして、黒いローブをつかんだ。身体に力が入らなくて、オブシディアンの脚にすがりついて彼を見上げた。『終わらせる方法』という言葉に、嫌な予感が込み上げてくる。
「待ちなさい、なにをする気です」
「キミのそばにいたい。許してくれ。これしか思いつかない」
 オブシディアンはてのひらで、私の耳を塞いだ。
 その手は震えていた。口元が動いたので、なにか言葉を発したようだったが、彼の声は聞こえなかった。耳を覆っている手を外そうとして、オブシディアンの手首をつかんだ。
 突然、オブシディアンが倒れた。操る糸が切れたように、地面に崩れ落ちた。
「……オブシディアン?」
 おそるおそる肩を揺すった。さっきまでは心配する余裕もなかったが、彼の身体には何本も矢が突き刺さり、ローブはぐっしょりと血で濡れている。
「オブシディアン! 目を開けなさい!」
 呼びかけると、重いまぶたの下で、白っぽい銀色の瞳が動いた。すぐに意識が戻ったことに安堵した。オブシディアンは私の顔を見上げた。それから、かすれた声で言った。
「……誰?」


 重傷を負った兵は大勢いたが、幸いなことに死者は出なかった。
 診療所に運び込まれたレイヴンも、意識が回復するのに時間はかかったが、なんとか一命を取り留めた。
 私はレイヴンとファルコンを王宮から追放すると決めた。他の兄弟たちの住んでいる屋敷へ移送すると告げても、レイヴンは抗わなかった。
 左半身の壊死が進み、動くことも困難になっていた。診療所の医師を付き添わせると言ったが、診てもらってもどうにもできないので気にするなと、やんわり断られた。
 移送のための馬車が用意されると、私はオブシディアンの部屋へ足を運んだ。
 矢の傷は重く、まだ寝台から下りられる状態ではない。それでも、彼の部屋からは明るい声が聞こえてきた。
「馬車に乗るなんて、いいな。ファルコンがうらやましいよ」
 ファルコンは寝台に腰かけて、呆れた顔で彼に答えた。
「うらやましいもんか。あんなの、ケツが痛いだけだ」
 寝台の背もたれに寄りかかっていたオブシディアンは、ファルコンの話にくすりと笑った。
 彼はあの時、自分に術をかけた。目覚めた後にたしかめたら、地下牢に入る直前までの記憶しか持っていなかった。彼の記憶は五歳の時まで退行していて、わかっているのは双子の兄がいることだけ。
 ファルコンのことも初めは誰だかわからず怖がっていたが、昔話をするうちに、すっかり兄と認めたようだった。ファルコンは彼に、「おまえは事故に遭ってずっと眠っていた」と説明したらしい。
 私は部屋に入った。
「ファルコン、時間です」
 声を掛けると、オブシディアンが身体を強張らせた。背を折って、深く頭を下げる。私はそれに気づかないふりをして、ファルコンに話しかけた。
「レイヴンの仕度が整いました。貴方も行ってください」
 ファルコンが頭をかきながら立ち上がると、オブシディアンが兄の服をつかんだ。
「すぐに帰ってきてよ」
「うるせえよ、レド。何度も言わなくてもわかってる」
 オブシディアンの頭を小突いた。
 ファルコンはレイヴンとともに王宮を追放される。別れを告げるように言っておいたはずなのに、オブシディアンには出かけるだけだとしか話していないようだ。
 ファルコンをにらんだが、彼は嫌な顔をしただけで、何も言わずに部屋を出て行った。
 側机に置かれた銀製の水差しを手に取り、器に水をそそぐ。
「薬の時間ですよ」
「……もう飲みました」
 私は水差しを置いた。
「そうですか。なにか欲しいものはありませんか」
 オブシディアンはうつむいて、首を横に振った。大きな身体を縮こまらせているようすは、小さな子どものように頼りなく見えた。私は寝台に腰を下ろした。
「しばらくのあいだ、ファルコンがいません。困ったことがあればなんでも私に言いなさい」
「……どうしてですか」
「どうしてって、貴方には他に頼れる者がいないでしょう?」
 オブシディアンは困惑したように、掛け布を強く握りしめて、「……だって『シャー』なのですから。私のような者を気になさる、御心がわかりません」と言った。
 私は答えられなかった。
 部屋を出て、庭に面した柱廊を歩く。夕日の差すオレンジ色の庭園はどこかもの悲しかった。
 オブシディアンは『シャー』を恐ろしいものだと思っている。子どもの頃から祖父である『シャー』を恐れていたようで、私のことを祖父と同じだと思い、恐れている。
 仕方ない。彼にとっては、私は見知らぬ人間なのだ。これから、ゆっくりと信頼を築いていかなくてはならない。
「もう、オブシディアンではなくレドか……」
 レドと呼ばなくてはならなかったが、まだ一度も呼べていなかった。
 彼の記憶に私はいない。それが悲しかった。
 忘れてしまったことを恨むのは筋違いだ。彼は悪くない。こうするしかないほど、追い込まれていたのだ。私が守ってやれなかったせいでこんなことになった。そう思おうとしても、彼に会うといつも胸が苦しくなる。裏切られたと思ってしまう。
 同じ顔をしているのに、同じ身体をしているのに、なかみは別人だなんてひどい。
「う……っ」
 嗚咽がこみあげてきて、急いで両手でくちを押さえた。息を止めても涙があふれてきて、苦しくてたまらなかった。
 私を思い出して欲しいなんて、望んではいけない。記憶が戻れば、ファルコンへの恨みも地下牢での拷問も思い出して、きっとまた同じことで彼は傷つく。このままでいたほうがしあわせなのだから、そんなことを望んではいけない。会いたいと、考えてはいけない。
「うあ、ああ……っ」
 好きだった。ずっと一緒にいて欲しかった。
 心を許せたのはオブシディアンだけだった。彼のために強くなろうと思った。王らしくあらねばと思った。自分を奮い立たせるために彼を利用したのかもしれなかった。これは庇護欲で、恋と呼べる感情ではなかったのかもしれない。
 だけど、頼ってくれるのが可愛かった。さわられたくて、独占したくて、深くつながっていたかった。好きだと言ってくれてうれしかったんだ。私も好きだと伝えたかった。彼だけしかいなかった。私にはオブシディアンだけだったのに。
 もういない。オブシディアンにはもう会えない。
「ひ……っぐ、ううっ」
「情けねえな。王の威厳もへったくれもない」
 涙の向こうにファルコンが立っていた。かたちの良い眉をひそめ、軽蔑するような目で私を見ていた。私は嗚咽を飲み込んで、濡れた顔をぬぐった。
「なぜまだいるのです!」
 八つ当たりのように怒鳴った。ファルコンは問いかけに答えず、じっと私をにらんでいた。情けない姿をさらしたことを、また揶揄るつもりかと身構えたが。
「レイにいはもう発った。オレは宮殿に残ってやるよ」
「……え?」
「おまえも困るだろ、急に五歳児押し付けられても。あんな怪物みたいな見てくれじゃ、侍従に任せるってわけにもいかないし、オレがあいつの面倒みてやるよ。あいつも憶えているのはオレしかいないしな」
「……気は確かですか? 貴方がそばにいたら、彼は思い出してしまうかもしれない。今度こそ貴方を殺すかもしれないのですよ。同じことを繰り返す気ですか?」
「そん時はその時だ」
 軽い口調に苛立って、非難をこめた目でファルコンをにらむと、彼は小さな声でつぶやいた。
「オレだって、気が咎めないわけじゃない」
posted by eniwa at 00:00| トリロジー