2017年03月13日

第二部 黒の王 -17-

 かたくなに寝台の下から出ずにいると、オブシディアンは私と同じように絨毯に横たわって、目線を合わせた。
 もっとも、彼の目はまぶたが腫れていて見ることはできなかったけれど、困惑しているのは十分に伝わってきた。私が叩いた右頬を指さして、「なんともない」と言った。
「ちっとも痛くない。私の肌が硬いのは、知っているだろう?」
 なぐさめられて余計に情けなくなる。両手で口元を押さえて、小声で謝った。
「……すみません、あんなものを見られたのが恥ずかしくて」
 オブシディアンはうなずいてから、しばらく沈黙した。不思議そうにしていたが、ハッとしたように箱を取り出した。
「これは、私が見ないほうがいいもの?」
 答えられずにいると、彼は勢いよく「見ていない! なにも見ていない。だから、シャー。こっちにきてくれ」と言った。
 王としての威厳を守るためには、ここで嘘をつかなくてはならないのだろう。だけど、心配そうにするオブシディアンには、嘘をつける気がしなかった。
「それは、性具です……貴方に抱かれたくて」
「せいぐ?」
 耐えきれずに、絨毯に顔を押し付けて、「お尻に……入れておいて、貴方の性器を受け入れやすくするための道具なんです」と告白した。
 オブシディアンが何も言わなかったので、じわりと涙が込み上げてきた。
「呆れましたか?」
「……あ、え、ええ?」
 大げさに首を横に振るので、「はっきり言いなさい。呆れたのか呆れていないのか、どっちなんですか」と恨めしくなった。今さら取り繕ったところでどうにもならないが、精一杯の虚勢を張ろうとこぶしを握り締めた。
「気を遣わなくていいです。笑ってもいいのですよ」
「……笑う? 笑ったほうが、いい?」
 オブシディアンはそう言うと、自分の左胸を押さえた。
「ここのあたりが熱い。今の気分は、どんな言葉がちょうどいいのか、わからない」
 ためらってからそっと、私の手首をつかんだ。彼の胸に押し当てられる。ドクドクと脈打っていた。私と同じくらい、心臓がうるさく鳴っていた。
「『甘い』も『苦い』も、キミが名前をつけてくれた。教えてくれ。こんなに胸が熱いのはキミが、かわいい、せいなのか?」
 そんなこと聞き返さないでほしい。まともに答えられる質問ではなくて、恥ずかしさに顔が熱くなる。ふと、甘ったるいにおいが鼻をついた。侍女長の部屋で嗅いだのと同じだが、あれよりも強い。
「まさか……箱を貸してください!」
 青銅製の箱を引き寄せると、ふたを開けた。中を見るために上体を起こすと、勢いよく寝台の底に頭を打ち付けた。
「い……っ」
「シャー!?」
 オブシディアンは掛け布から手を離して、寝台の下に潜り込んだ。掛け布が垂れ下がって、あたりが薄暗くなる。私のそばまで来て、「だ、大丈夫?」と後頭部をさわった。
「平気です。それよりも……」
 箱の中をのぞくと、小瓶のふたが取れていた。小瓶からは媚薬としても使われる香油がこぼれていて、むっとするほど甘い匂いが立ち込めた。
「なんの、匂いだ?」
 無邪気に尋ねられて、このまま地面に埋まってしまいたくなる。性具を見られただけでも情けないのに、媚薬まで持っているなんて知られたら。
「……媚薬」
 ちらりとオブシディアンを見た。横向きになろうとして肩が寝台の底にぶつかってしまい、窮屈そうに身を縮こまらせている。この男が、媚薬で乱れるところを想像して、胸が高鳴った。
 いつもは『声』で気持ちよくされるばかりだったけれど、この薬を使えば。もしかして、オブシディアンを翻弄できるかもしれない。いやらしい思いつきに、ごくりとつばを飲み込んだ。
 箱から小瓶を取り出すと、表面にはこぼれた香油がまとわりついていた。小瓶をオブシディアンの顔の前に置いてから、ぬるつく指で彼のほおを撫でた。
「貴方はこの匂い、嫌いですか?」
 オブシディアンはかすかに顔を動かして、ほおを撫でていた私の指に鼻を寄せて、獣のようにクンクンと匂いをかいだ。
「……甘い?」
 舌を出して、私の指先を舐めた。やわらかくて熱い舌の感触に、身震いする。オブシディアンはひたいに皺を寄せて、「甘くない」とつぶやいた。
「どうです。身体に変化はありませんか?」
 期待を込めて尋ねると、オブシディアンは私を見た。
「変化……? シャーは、顔が赤い」
「私ではなくて……!」
 急に顔を近づけられて息を飲んだ。
 身体を密着させていることに、あらためて気づかされる。掛け布で外から断絶された空間に、ふたりきり。閉じ込められているような錯覚に陥った。
 オブシディアンは私のほおをゆっくりと舐めてから、「やはり、熱い」と言った。
 まるで性器にさわられたような強い快感が、背筋を駆け抜けた。声が上ずりそうになるのを押さえて、聞いた。
「貴方はなんともないんですか?」
「どういう意味?」
 答えに焦れて、太ももをオブシディアンの下肢に押しつけた。彼の脚のあいだは熱くなっていなくて、あまりの手ごたえの無さに泣きたくなる。
「……ずるい」
 奥歯を噛みしめて歯ぎしりした。耐えられなくて、床に顔を押しつけた。
 私は甘い匂いを吸い込むたび、眠りに落ちる前みたいに、頭がとろりとしてくるのに。眠気と相反して、下腹部がうずいた。なにもしていないのに、足先まで優しくしびれている。
 オブシディアンの服を握りしめて、引っ張った。身体を近づけると、ひざを脚のあいだに割り入れて、太ももを擦りつけた。はしたないことをしていると思うと余計に興奮してくる。
「ん……っ」
「シャー、脚に当たって、いるけれど」
「……嫌ですか?」
 未練たらしく聞いてから、少しだけ脚を離した。せっかく気持ちが良かったのに。服越しでもわかるほど下肢が膨らんでいて、じれったくなって自分でさわった。
 強くしごいても物足りなくて、帯の留め具を外した。服をずり下ろして直に性器にさわると、息が止まりそうなほど気持ちがいい。
 顔にかかった髪を、オブシディアンが指先ですくいあげた。自分を慰めているみっともない姿を見られている。意識すると、羞恥と快感がないまぜになって、甘ったれた声が出てしまった。
「ああ……見ないで……」
 それでも手を止められなかった。昇りつめると、強烈な快感に身体が痙攣する。精を吐き出したのに、気持ち良さはおさまらなかった。
 性器をさわっても物足りない。後ろがひくついた。
 抱かれた時のことばかり思い出してしまう。身体がおかしくなってしまった。尻に入れて欲しくてたまらないなんて、男のくせにおかしい。オブシディアンが私の顔をのぞきこんだ。
「早く外に出よう。キミは、おかしい」
 わかりきったことを言われて、涙がにじんだ。小瓶を手に取って、オブシディアンの鼻先に突きつけた。
「これはみだらな行為に使う薬です! 気持ちよくなって、今の私みたいにおかしくなる薬ですよ! こんなものを、貴方に嗅がせようとしたんです! わかったらもう、放っておいてください!」
 八つ当たりで大声を上げると、オブシディアンは身体を強張らせた。
「こんなつもりじゃなかったのに……貴方を気持ちよくしたかったのに。私ばかり、いつもこんなふうになって」
 手の甲で涙をぬぐった。小瓶から垂れた香油で、指が濡れている。尻に手を這わせると、すぼんでいるところに塗りつけた。もうどうもいい。なにも考えたくない。呆れられてもいいと開き直るくらい、身体は追い詰められていた。
 オブシディアンの手があごにふれた。強引に上向かされて、くちびるを塞がれた。舌をからめられると、頭がしびれた。
「……んんっ」
 後ろをいじっていた手首をつかまれる。両手をまとめて胸のあたりにまで持ち上げられて、動けなくされた。
 オブシディアンは私の肩に顔を擦りつけて、切羽詰まった声で「指でなかをさわっても、いい?」と懇願した。薬が効いてきたのかもしれないと思って、うれしくなった。
「いいです、して」
「私の指は硬い。痛かったら、やめるから言ってくれ」
 片腕に抱きしめられて、気持ちよさに目まいがした。横向きになって片脚をオブシディアンの腰に乗せた。
 たしかに彼の指は、人のものとは思えないほど、肌が硬かった。それでも、先に自分で香油を塗りつけていたおかげか、抵抗なく中に入ってきた。
「は……」
「痛い?」
 首を横に振る。しがみつくと、オブシディアン身体は強張って、緊張していた。私を傷つけないように慎重に指を進めようとしてくれる。性器を入れたことはあるのに、指を入れられるのは初めてなんておかしい。
 オブシディアンに身体の内側をさわられていると思うと、気持ちが昂った。指の関節が、腹の中を擦る感触が伝わってくる。少しずつしか入ってこないもどかしさに煽られる。
 指が根元まで入ってしまうと、オブシディアンが止めていた息を吐いた。背中を強く抱きしめられて、「キミの中、熱い」とささやかれた。
 ぞわりとした。身体にくすぶっていた快感に、いっきに火がついた気がした。思わず、脚に力が入ってなかを締めつけてしまう。
「う、んん……っ!」
 出そうだと思う間もなく射精すると、そのまま意識を失ってしまいそうになった。オブシディアンが指を引き抜いた。私を片腕に抱き寄せたまま、寝台の下から出た。
 抱き上げられて、寝台に横たえられる。急にまわりが明るくなり、甘い匂いもしなくなったが、まだ身体には快感が残っていた。
 オブシディアンは私を見下ろして、「真っ赤だ。冷やさないと……!」と慌てた。
 壁際に置かれた丸机には、銀製の水差しと器の入った籠が置かれている。籠に被せられた布を片手に持つと、豪快に水差しを傾けて水をかけた。布を絞ってから、私のひたいにのせた。
 それだけでは安心できなかったのか、水を注いだ器を私のくちもとに差し出した。
「シャー、飲んでくれ」
 朦朧として答えらなかった。オブシディアンは寝台に腰を下ろすと、自分で器にくちをつけた。顔が近づいてきて、口移しで水を飲まされる。
 苦しくて顔を背けようとすると、うなじを持ち上げられて、強引に飲みこまされた。冷たい水のおかげで、意識がはっきりしてくる。
「薬が、効いていたわけではないのですか?」
「薬じゃない。キミがいけない。強いのに、泣くからわからなくなる」 
「……なんですか、それ」
 私はだるい身体を動かして、オブシディアンに背を向けた。ひたいにのせられていた布がずり落ちた。
 下半身はむき出しで、香油と体液でべたついていて、そんな状態でもまだ性器が立ち上がってしまいそうで、最悪だった。媚薬が完全に抜けたら、自己嫌悪で倒れそうだ。
 目の前に手があらわれた。寝台がきしむ。私に覆いかぶさったオブシディアンは、小さな声で言った。
「あの薬は、いけない」
 見上げようとすると、オブシディアンは身をかがめて、私の首筋にくちづけた。
「キミが気持ちよく、なりたい時は『声』で叶える。もうあれは、使ってはいけない」
 なんてことを言うんだ。羞恥に耐えられなくて目を閉じると、耳元で「こちらも」とささやかれて、尻をさわられた。
「せいぐ、を入れるのは……怖すぎる。キミのここ、壊れそうで、怖いからだめだ」
 オブシディアンが入れるわけじゃないのに、あまりに真剣な声で怖いと言うので、からかってしまいたくなった。ちらりと見上げると、ぎこちない仕草で頭をなでられた。
「傷つけないくらい、指をやわらかくするから、待っていてくれ」
 からかおうとした言葉が出てこなくなった。媚薬に浮かされていた時よりもっと、顔が熱くなった。
「……はい」
 初めて彼を、年上の男だと思った。オブシディアンは口元に優しい笑みを浮かべて、私のまぶたに手の甲を置いた。
「眠りなさい」
 声が頭の中に染み込んでくる。もっと彼の笑顔を見ていたかったのに、目を開けていられなくなる。好きだと言いたかったのに。まだ、オブシディアンに好きだと告げていなかった。こんなにそばにいるのに、一度も言っていなかった。
 目が覚めたら、好きだと言おう。彼に好きだと言われて、とてもうれしかったので、彼も同じくらい喜んでくれたらいい。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー