2017年02月27日

第二部 黒の王 -15-

 オブシディアンの手を引いて、宴席に招いた。
 王の席は隔離された一角にあり、椅子を囲むように周りには天幕が用意されていた。
 天幕の中にオブシディアンを連れ込んだ。外からは見られないのに、彼は自分の容貌を気にして、フードを深くかぶっていた。
 広間には各地の諸侯が集められている。食べきれないほどの料理が振る舞われ、合図をすると楽師の一団があらわれた。楽師は異国の曲を弾き、音色に合わせて装身具で飾り立てた女たちが舞い出す。
 オブシディアンはおどおどしていたが、新しい曲が始まると興味をひかれたのか、天幕のかげから身を乗り出して、楽師たちを眺めた。
「あれは、バルバト? あんなに済んだ音が出るのか」
 私の自室にも置いてある、バルバトという弦楽器が、高らかに鳴り響いた。広間の高い天井に反響した音は心地よく、オブシディアンはくちを薄く開いて、放心したように曲に聞き入っている。
「楽しいなら良かったです。貴方は可愛いですね」
 にこりと微笑むと、オブシディアンはうっとりしていた表情をかき消して、天幕の布をぎゅっと握りしめた。
「……かわいいのは、キミだ」
「そうですか? 貴方にはカッコイイと思われたいのですが」
 皿の上から砂糖漬けの小さなトマトをつまんで、歯で軽く噛んだ。オブシディアンの胸元をつかんで引き寄せる。口移しでトマトを食べさせると、くちびるに残った甘い汁を親指でぬぐった。
「見ていなさい、あと三、四年もすれば、貴方の身長を追い越してみせますから。胸板も厚くなって、ヒゲも生えてくるでしょう。そうしたら貴方の身体を抱いて、気持ちよくしてさしあげますよ」
 硬直しているオブシディアンのくちに、はみ出ていたトマトを指先で押し込む。のろのろとトマトを咀嚼した彼は、言葉を探しているようだった。
「どんな姿になっても、変わらない。キミは、かわいい」
 悪い気はしなかった。かわいいと言われて抱かれることに、不満なんてない。彼にさわれるのならどちらでも構わなくて、ただ、困らせると可愛いのでそれを眺めたいだけだった。
 私以外と関わる機会のない彼の生活に驚きを与えて、色んな表情を引き出したかった。
 黒の宰相に声を掛けられた。
 数名の諸侯の要望で、別室で会談を行うことになった。通常、予定されていない会談は受けてはいなかったが、懇親を深めるいい機会だと思い、席を立った。
「貴方はもう少し楽しんでから、部屋へ戻りなさい」
 オブシディアンがさびしそうにするので、今度はふたりだけの時に、楽師を呼んでやろうと決めた。


 会談は思いのほか早く終わり、自室に戻った。
「オブシディアン、いないのですか?」
 声を掛けたが見当たらない。まだ、宴席を楽しんでいるのだろうか。それなら迎えに行こうと思いついて、広間に向かった。その途中で、廊下に警備兵の姿がないことに気がついた。
 小部屋から明かりが漏れている。中で何かが倒れる音がしたので、小部屋に足を向けた。薄く開いていた扉を押すと、そこは侍従の休憩所のようだった。しかし、侍従たちの姿はなく、代わりにふたりの女がいた。
 私の姉たちだ。マーリーは部屋の中央に置かれた長椅子から、離れたところに立って、両手のてのひらを長椅子に向けている。
 長椅子にはノアールがいた。ノアールは長椅子に乗り上げた格好で、私には背を向けていた。
 長い白髪が揺れると、色白の滑らかな背中が見えた。肌が見えるほど、服がずり落ちているようだ。ひじ掛けでよく見えなかったが、彼女の身体の下には誰かがいて、組み敷いているようだった。
「シャーに力を分け与えたというのは、本当なんでしょう!? わたしにも力をくれたっていいじゃない!」
 長椅子が揺れ、黒いローブの裾がはためくのが見えた。
 そこにいるのが誰なのかわかって、全身に鳥肌が立った。ノアールはオブシディアンの身体を叩き、また叫んだ。
「なんで出し惜しみするのよ! あんた、地下牢にいた時にマーリーとは寝たんでしょう!? わたしよりマーリーのほうが能力が強いのは、あんたと寝たからだわ!」
 私はノアールの背中に向けて、片手を伸ばした。
 なにも考えられなかった。ただ、私のオブシディアンから、獣みたいな女を引きはがさなければならないことだけは、わかった。空中で手を握りしめて、水平に腕を振った。
 ノアールの身体がふわりと宙に浮き、私が腕を向けた方向へ吹っ飛んだ。彼女は勢いよく棚にぶつかり「ぎゃあっ」と悲鳴を上げた。 
 床に崩れ落ちると、腹を押さえて、胃液を吐いた。
 これまで、物を浮かせる能力を使っても、手に持てるくらいのものしか投げたことがなかった。痩せた女とはいえ、ひとの身体は重くて、手首がびくりと痙攣した。
 長椅子の上では、オブシディアンが顔の前でフードを押さえながら、背を丸めて縮こまっている。
 彼の胸元ははだけていた。かたわらには短剣が置かれており、それで上着を切り裂かれたのだろうとわかった。服だけではなく、胸元には傷があり血がにじんでいた。鎖骨にしるされた黒の神獣の模様も、血で汚れていた。
 倒れたノアールを見ていたマーリーは、私を振り向いた。顔色は蒼白だったが、口角は吊り上がり、その場にはそぐわない笑みを浮かべていた。
「おまえみたいな無能力者に、ノアールを投げ飛ばせるだけの、強い力が宿るなんて……やっぱり、この怪物の力は本物なんだ!」
 それは歓喜の声だった。それまで、オブシディアンに向けていた両手を、私に向けた。
 途端に、ぎしりと身動きが取れなくなる。まるで、全身に太い蛇を巻きつけられたような感覚だったが、少なくとも、その蛇は目には見えなかった。
 首にも巻きつけられて、息が苦しくなる。
「あの男は渡さない。おまえの出る幕じゃないわ!」
 マーリーはすっかり、オブシディアンを手に入れた気でいた。
 自分のものだと思っているから、私には渡さないと言った。頭にカッと血がのぼった。あれは私のものだ。他の誰にも、指一本だってさわらせてやるつもりはない。
 伸ばしていた片腕に力を込めた。
 思い出そうとした。オブシディアンは、私には能力があると言っていた。

 ――前のシャーが言っていた。『黒の獣』の能力を持つ者は、相手の力を奪って自分の力を強くできる。

 相手の力を奪う、その力を発揮していた者がいた。広間にこだました、兄弟たちの悲鳴を思い出す。逃げ惑う兄弟を助けようとしたレイヴンに、祖父は言った。

 ――私はこうしてふれている者以外でも、あそこにいるおまえの妹のように、離れた場所にいる者でも『奪う』ことができる。

 次の瞬間、ジェミニの両腕は薄っぺらく折れ曲がった。祖父はあの時、ジェミニの身体から術師としての能力を抜き取ったのだ。同時に、彼女の生命力も奪い取った。
 きっとあれが本当の、黒の獣の能力だ。最強の、能力だ。
 マーリーに向けていた、てのひらを開いた。離れたところにいる彼女の輪郭を、指先でなぞる。白いのどに爪を立て、胸に向かって指を動かして、身体の中身をえぐり取る。
「いっ……ああ……っ」
 マーリーの絶叫は、か細かった。服の上からでもわかるほど、胸のあたりがへこんでいる。うつぶせに倒れ込むと、胸をかきむしって苦しそうに喘いだ。
 私の身体を拘束していた、絡みつくような圧力がふっと消えた。
 ノアールは立ち上がる気力も残っていないようだったが、後ずさった。壁際で身を震わせて、「マーリー、マーリーが……!」と泣き出した。 
「どうして、ジェミニと同じ目に……あれは、おじいさまの力なのに」
「お忘れですか、私も『黒の王』ですよ」
 彼女はたよりなく、「くろの……おう」と言った。
「そうですよ。黒の王に逆らうなんて、命知らずですね」
 自然と笑みがこぼれた。圧倒的な力が身体にみなぎっている。レイヴンと同じ力を手にした時には、笑いが出るほど興奮したが、今は逆に心が凪いでいた。
 黒の獣の力があれば、どんな術師だって従えることができる。術師とも呼べないような、弱い力しか持っていない姉など、片手だけで殺せる。
 ノアールが怯えた目で私を見ている。銀色の瞳は絶望で濡れていて、弟を見る目ではなく、王を見る目だった。胸の奥に、じわりと快感がわき上がってきた。
「知っていますか? 王に歯向かうと反逆罪と呼ばれるのですよ。反逆罪は死罪に相当します。ファウンテンの手をわずらわせるまでもありません。貴女がたは私が罰します」
 ノアールは綺麗な顔をゆがめた。
 床に両手をついて、「許して! お願いします、許してください! ねえ、わたしたち姉弟でしょう。まさか、殺したりしないわよね!?」とわめいた。
 馬鹿な女だ。虫けら以下の知能しかない下衆だ。絶対に手を出してはいけないものすら、わかっていないくせに、なぜ謝ったくらいで見逃してもらえると思うのだろう?
 私のオブシディアンに手を出した。そんな愚かなこと、許せるはずが無いのに。どれほど重い罪なのかを、思い知らせてやりたい。ノアールにてのひらを向けると、彼女は言葉にならない金切り声を上げた。
 うるさくて、舌打ちした。二度と声を出せないように、まずはのどを潰そう。人のうらやむ美貌もぺしゃんこにして、女だったことすらわからないように、ぐちゃぐちゃにしてやろう。
 もし、私自身の命を狙っていたなら、これほどの怒りはわかなかっただろう。だが、女たちはさわってはいけないものにさわった。
「死ね」
「だめだ!」
 抱きつかれて、集中が途切れた。オブシディアンは泣きそうな声で、「だめだ!」と繰り返した。
 体格差からすれば、力づくでも止められそうだったのに、彼はそうしなかった。声の能力も使わなかった。床にひざをつき、両腕で私の胸にすがりついて懇願するだけだった。
「お願いだ、やめてくれ。キミはそんなこと、してはいけない。キミは優しいんだ。ひとを殺すなんて、してはいけない!」
「……優しいんじゃない。私には力がなかっただけです」
 力さえあれば、オブシディアンが傷つくこともなかった。もっともっと、黒の王らしくならなければと、いつも思っていた。
「貴方を守る力を手に入れたのに、どうして使ってはいけないのです!?」
「同じだからだ!」
 オブシディアンはいっそう強く抱きついて、私の胸に顔をうずめた。
「前のシャーと、キミは同じになってしまう……頼む、キミを好きで、いさせてくれ。キミが大好きだ。変わらないでくれ」
「……好き?」
「好きなんだ、すまない、シャー。キミが好きだ」
 すがりついてくる温かい存在の、背にふれた。頭に昇っていた血がすうっと下りてきた。身体の中心から、重石が外れたように力が抜ける。
 まわりを見回した。床に倒れたマーリーはまだ苦しんでいて、ノアールはうずくまって幼児のように泣いている。
 自分がなにをしようとしていたのかを理解して、身震いした。オブシディアンの言う通りだ。能力でねじふせ、血の繋がった者であっても、容赦なく殺そうとした。大きな力を持っていると自覚した途端、力を使いたいという欲求に飲み込まれそうになった。
 あれほど憎んでいた祖父と、同じ道を選びそうになってしまった。
「今のキミで、いてくれ。お願いだ」
 誘惑に駆られて力を使えば、彼を失う。それは、なによりも強い歯止めになる。フードの外れた頭を、両腕でそっと抱きしめた。
「今の私じゃなくなったら、嫌いになってしまうのですか? 『どんな姿になっても、変わらない』のに?」
 できるだけ優しく尋ねると、オブシディアンは顔を上げて、安心したようにかすかに微笑んだ。
「どんな姿になっても……心がキミなら、かわいい」
 やっぱり、可愛いのは彼のほうだった。胸が痛いほどオブシディアンが大事だ。彼の信頼を失わずにすんで良かった。好きだと言ってもらえるしあわせを噛みしめて、彼の頭に頬をすりつけた。
「祖父のようにはならないと約束します。あなたがそばにいてくれれば、私は大丈夫です」
 

 マーリーとノアールには治療を受けさせ、命にかかわる怪我ではないとわかると、すぐに王宮外に追放した。王都の外れに、レイヴンが兄弟たちを匿っていた隠れ家がある。彼女たちもそこに住まわせるように、レイヴンに命じた。
 オブシディアンの怪我も幸いにして浅かった。私は安堵したが、彼は傷が鎖骨のしるしにまで及んで、模様が少し欠けてしまったことを、ひどく残念がっていた。
 そんなしるしが無くても、彼はもう私だけのものだ。好きだと言われたあの日から、私はどうしようもなく浮き足立っていた。
 あることを思いついて、侍女長の部屋を訪れた。彼女の私室ではなく執務室のような部屋だ。
「邪魔をするぞ」
 声を掛けると、侍女長は椅子から立ち上がった。王が直接、部屋を訪れることはまずない。大勢の前で話しにくい内容だと察したのか、なぜ来たのかとは聞かなかった。
「どのようなご用件でございますか」
 侍女長は侍女たちに仕事を与えるだけではなく、ハリームの女を世話する役目も持っている。今はハリームに女は囲っていないが、侍女長としての知識は持っているはずだ。
 三十代後半の、上品そうな顔つきの女性に尋ねるにはあまりな内容だったが、恥を忍んで尋ねた。
「王がハリームに渡る前に、女の支度に使う……道具を見せてもらえないか」
「支度に、でございますか?」
「その……男のものを受け入れやすく、するための道具があると、聞いたことがあるのだが」
 侍女長はよく訓練された兵のように、驚きを顔には出さず、かわりに穏やかな笑みを浮かべた。
「ご用意いたしますので、どうぞお掛けください」
 すすめられるまま椅子に座った。戻ってきた侍女長は、かたわらの机に箱を置いた。道具はひとつずつ、青銅製の箱に収められていた。
 彼女は両手でふたを取り、表面にかかっている布をふわりと持ち上げて、「こちらは動物の角から作られた、張り型でございます」と言った。
 男性器を模した性具を目の当たりにして、自分から見せてくれと頼んだのに息を飲んだ。
「このまま肌にふれると、冷たく感じられますので、お湯で温めたものをお使いいただきます。次にお見せするのは、木を削って作られております。こちらとは先端の形状が異なっており、少し長さもありますね」
 つつましやかな説明を聞いているうちに、嫌な汗が流れてくる。
 オブシディアンに抱かれる前に準備をしておけば、あられもない姿を見られることなく、彼を受け入れられるだろうと、思いついたままに侍女長のところへ来たうかつさを呪った。
 こんな説明をさせるなんて、申し訳なさで胸が痛くなってくる。オブシディアンに好きだと言われて、浮かれきっていた自分を殴りたい。
 恥ずかしい話を取り繕うために、威厳を保った態度で接しようと気を張っていたのに、いつの間にか背が丸まり、ひざの上で両手を握りしめていた。
「意外と……大きいのだな……」
「お身体に無理のないように、さまざまな大きさを取り揃えております。そうですね……これくらいであれば、痛みはないかと思われます」
 言葉のとおり、同じ形だが一回り小さかった。箱から取り出したりはせず、あくまで布をそっと持ち上げて、中身を見せるだけなので、そこまで生々しさは感じない。
 おそらく、私に経験がまったくないと思い、気を遣っているのだろう。
「小さいお品から、徐々に慣らしていくことになります。お辛くならないように、肌をやわらかくする香油も取り揃えてございます。アンバルやムスクなどで、ご気分を和らげてから使われると、具合がよろしいかと」
「アンバル?」
「はい。媚薬、と呼ばれる品になりますが、お耳にされたことはございますか?」
 詳細な説明をされる前に、必死に首を縦に振った。
「こちらはアンバルを香油に混ぜたものです」
 綺麗な小瓶を指し出される。侍女長は指先で瓶のふたをつまみ上げた。甘ったるい香りが鼻腔をくすぐり、のどの奥が刺激される。
「伺ってもよろしいですか? 近々、男性の黒の姫を召し上げられるおつもりでいらっしゃるのでしょうか?」
 問いかけられて、びくりとした。ハリームを管理する侍女長なら、もっともな質問だ。
「あ……いや、召し上げるわけではないのだが。どういうものがあるのか、興味があっただけで……」
 言葉を濁すと、侍女長は初めて困ったように眉を下げた。
「シャーの御身のお支度は、侍女にお任せいただくのが通例です。これらをお使いになられるとしましても、その折には、侍女たちがつつがなくお支度を整えますので、ご心配なさらずともよろしいのですよ」
 優しくなぐさめられて、さらにいたたまれなくなる。
「あの……いくつか、持っていってもいいだろうか。侍女に支度をされるのは、たしかに通例ではあろうが、私はオブ……好きな相手以外にはさわられたくないので、その、自分で少し試してみて……」
 しどろもどろになりながら断ると、うぶな生娘のような言い訳じみてきて、顔が燃えるように熱くなってきた。侍女長は瞳を大きくしたが、すぐに優し気な笑顔に変わった。
「かしこまりました。のちほど、いくつかお部屋にお持ちいたします。お困りのことがありませんように、侍女をひとりだけ、お部屋に控えさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「いや! ほ、本当に……これだけでいいんだ!」
 最初に見せられた青銅の箱と、手近にあった香油の小瓶をつかんで、立ち上がった。逃げるように、侍女長の部屋を後にした。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー