2017年02月08日

第二部 黒の王 -8-

 いつまでも落ち込んでいる暇はなく、私は三つの領土の統治に奔走していた。問題は新しく統治することになった南方よりも、隣国のサルタイアーとの戦いが激化している東方だ。
 祖父が存命だった頃は膠着状態だったが、ここにきてサルタイアーの攻撃は本格化した。
 二国のあいだに存在する、ヴェア・アンプワントという小国を制しているサルタイアーは地理的に優勢で、ヴェア・アンプワントを足掛かりにした攻撃に東方は徐々に押されていった。
 本来ならば東方はアジュールの管轄だが、頭を悩ませるのは私だけで、アジュールはといえば多くの女性をハリームに囲って日々を楽しむだけだった。
 パーディシャーが東方も支配するようになったいきさつは聞いていた。
 アジュールは今の赤の王のように幼い頃に王を継承し、一時的に私の祖父が政務を代行することになった。
 祖父はアジュールが成長しても彼に権限を与えず、そうして二十数年のあいだ、青の宮殿は祖父の支配下に置かれた。
 しかし、祖父は近隣国との外交には力を注いでいたようだが、東方の内政にはほとんど手をかけていなかった。サトラップや諸侯に銀を送り、密接な関係を築く一方で、街の荒廃は急速に進んでいる。
 むしろ意図的に、アジュールに対する民の不満を高めているのではないかと思えるほど放置していて、民の不満は高まっていた。
 そして、祖父の死で国同士の均衡も崩れ始めた。
 サルタイアーが東方の全土を侵略したら、隣接する中央や北方を狙うだけでは済まないだろう。シェブロンは危機にさらされており、今こそ王たちが団結せねばならない。
 私はアジュールに東方を統治する意志があるのか確かめようと、秘密裏に青の宮殿へ向かった。
 おおやけな会談としなかったのは、レイヴンや側近に相談すれば、東方の支配を止めてはならないと咎められるだろうと思ったからだ。
 謁見室にあらわれたアジュールは、いつものように気だるげに白銀色の髪を指先でいじりながら、「怖い顔をして、嫌だなあ。怒られる気がします」と言った。
 話を長引かせないようにするためか、椅子に腰かけようとしないので、私も椅子から立った。
「単刀直入に伺います。貴方が東方の統治に心血を注ぐと約束してくださるのならば、統治権をお返ししてもいいと考えています」
「……ええ?」
 アジュールは子どものように幼いしぐさで首を傾げた。
「どうして? 私はあなたに、東方を返してくれと言いましたっけ?」
「青の宮殿の側近からは、何度も統治権を戻してほしいという嘆願が上がっています。彼らの中には私の指示をよく思わず、故意に伝達を遅らせようとする者もいます。しかし、自分の属する宮殿の王命であれば従わざるを得ないでしょう。今は一刻を争います。王宮内の小競り合いを無くすには、貴方の力が必要なのです」
「……それ、私が王として振る舞うことで、あなたに何か利点があるの?」
「東方の全土がサルタイアーに侵略されれば、中央や北方もただではすみません。私は戦争被害の拡大を食い止めたいのです」
 真剣に説得を試みたが、アジュールはおっとりと笑みを浮かべるだけだった。
「うーん、じゃあ側近にどうしたらいいか相談するので、返答は少し待ってください」
「貴方は青の王です! 側近の意見よりも、王である貴方の意見が優先されるべきです。それが、シェブロンの掟でしょう!? 貴方も王としての自覚を持ってください!」
 アジュールは優しい口調で「王の自覚?」と聞き返した。
 そばにあった飾りの椅子を引き寄せて座った。豪奢な椅子に身をゆだね、ひじ掛けに片手を乗せた彼は、それまでのつかみどころのない印象から一転、王らしい威厳に満ち溢れて見えた。
「聞いていないの? 私は数年前に、自分で東方を治めていたことがあるんです」
「……え?」
 彼はすっと、私を指さした。
「あなたと同じくらいの年だったかな。側近たちに、いつまでもパーディシャーに領土の支配権を渡したままではいけないと言われて、あなたのお祖父さんから東方を返してもらったんです。ねえ、それでなにが起きたと思う?」
 アジュールは髪の色と同じ、透き通るような淡い色のまつげを伏せた。
「サルタイアーが大軍を送ってきた。もちろん、私はすぐに国境に軍を送りました。兵の中には、幼少からずっと、青の宮殿でともに育った幼なじみもいました。サルタイアーの攻撃は長引き、死者は七千人。その中にはもちろん幼なじみもいた。親兄弟のいない私にとって、彼は唯一の味方でした。青の王に命を捧げると言って、本当にあっけなく死んでしまった」
 美しい顔からは、いつの間にか温和さが消えていた。氷のように冷たい表情を見て、私は言葉を失った。
「パーディシャーに言われました。自分の度量もわからない者が、権力を手にしたらなにが起きるかわかったか……と。あの言い方はまるで、子どもに思うぞんぶん泥遊びさせたあとに諭す、親のようだった。私は身の程を知って、権限を返しました。まあ、そういうわけなので、私は王の力を取り戻したいとは思っていません」
 アジュールは急ににこりとして、「話はこれで終わりですね?」と言った。
「待ってください! それは過去のことでしょう。貴方は自分の犯した失態を後悔しています。その後悔があるからこそ、これからは、青の王として東方の民のために尽くせるのではありませんか!?」
 椅子から立ち上がったアジュールは、すっかり話に興味を失った顔をしていた。
「パーディシャー、私は後悔しているのではありません。あの戦争で、シェブロンがどれほど狂っているのかを実感したまでです。手の甲にしるしがあるだけで、王の資質を持たない者が王になってしまう。私はもう、この国の生み出す悲劇を見たくないのです」
 アジュールはゆっくりと立ち上がり、椅子をぽんと叩いてから謁見室を出て行った。
 空になった豪奢な椅子は、見掛けだけの張りぼての権力者を、あらわしているように思えた。アジュールはその椅子にまったく未練が無さそうだった。


 黒の宮殿に戻ると紫の姫が待ち構えていた。彼女は険しい表情で、「早く来い!」と怒鳴り、駆け出した。わけもわからずあとを追いかけると、彼女は私の自室に飛び込んだ。
 床にはオブシディアンが倒れていた。
 このところずっと彼を避けていたので、姿を見るのは久しぶりだった。オブシディアンは頭から血を流し、服はところどころ破れている。露出した肌は赤黒く腫れ上がり、骨が折れているとすぐにわかった。無残なありさまに驚愕した。
「これは……なにがあったのです」
 紫の姫はオブシディアンのかたわらに跪き、「わたしが見たのは、数名の兵がこいつを連れ出そうとしているところだった」と言った。
「どうやら、おまえがいない間に王宮外に捨てて来いと命じられたようだ。こいつは抵抗して、兵に痛めつけられていた。わたしが居合わせなければ、殺されていたかもしれない」
「兵が!? どうして、オブシディアンを……」
「わたしが知るか、おまえの臣下だろう。ただ、『目障りな怪物を追い出すには、パーディシャーの関心が薄れた今が好機だ』と言っていた。まさか、こいつを捨てるよう命じたのではおまえじゃ無いだろうな?」
 じろりと睨まれて、私は反射的に首を横に振った。
 そんなことするはずがない。私がオブシディアンを手放したりするわけがない。青ざめた私を見て、紫の姫は安堵したように息を吐いた。
 小さな手をオブシディアンの顔にかざして、軽く振った。
「良かったな、うすのろ。飼い主が来たぞ。おまえが言っていたとおり、わたしの杞憂だったようだ。おまえを捨てようとしたわけじゃないらしい」
 のろりとオブシディアンの頭が動き、私を見上げた。
「……セーブル?」
 弱々しい声で呼びかけられて、頭に血が上った。
「なぜ、やり返さなかったのですか!? 『声』があれば兵なんかに負けたりしないのに……」
 言いかけてハッとした。能力を使うのを禁じたのは他ならぬ私だ。紫の姫も非難するような目で、ちらりと私を見た。オブシディアンを遠ざけたのも、兵たちが暴挙に出たのも私の責任だ。その上、オブシディアンには戦うなと命じた。その結果がこれだ。
「セーブル」
 もう一度、呼びかけられてびくりとした。こんな目に遭わせた私を、オブシディアンがどう思っているのか怖かった。
「声、使わなかった。また、褒めてくれる?」
 そう言って、私を安心させるようにかすかに微笑んだ。
「平気だ。叩かれても、痛くない」
 健気な姿に打ちのめされた。
 パーディシャーに苦しめられ続けた男は、私のせいで今でもひどい目に遭っている。崩れ落ちるように床に両膝をついた。
「……キミは、なぜ泣いてる?」
 オブシディアンは戸惑ったように、私のひざにふれた。遠慮がちで、力の入れ方を迷っているような恐々したさわり方だった。
 祖父を殺して黒の王になって。それまでの鬱屈とした世界が、変わったような気がした。
 けれど、私には何の力もなかった。ティンクチャーがあるというだけで、臣下の信頼を得ることも自分の意見を通すことも難しい。
 オブシディアンを守ってきた。
 彼が自由に暮らせるように、術師の力を持つ兄弟たちを王宮から追放した。しかし、本心を言えば術師をそばに置いておくのが怖かっただけだ。
 私には力が無い。子どもの頃から力が無いために兄弟に蔑まれてきた。だから、術師の能力が王に必要だと思われたくなかった。パーディシャーの地位を保つために、術師の力が必要だと認めたくなかった。
 オブシディアンを守るためなんかじゃない。
 彼を盾に、弱い本心を隠したかっただけだ。私はオブシディアンのためだと自分に言い聞かせなければ、『宮殿から術師を排除する』という方針さえくちに出せないほど弱い。
「王にならなければ、良かった」
 幼い赤の王が成長して、私が母親を殺したことを知れば、彼もいずれは敵になるだろう。肉親を殺した男として私を見るのだろう。
 そんな世界に身を置いていることが、怖くてたまらない。
 王としての責務を放棄しているアジュールを軽蔑していたが、今は彼のようになりたいとさえ思ってしまう。彼のように、自分が起こしてしまう悲劇から目をそらしたい。
 オブシディアンが上体を起こした。折られた腕を不格好に動かして、私の頬にふれた。丁寧に涙をぬぐうと、「痛い?」と尋ねた。怪我をしているのは彼なのに、なぜか私を心配していた。
「痛いのは貴方でしょう」
「シャー」
「……え?」
 オブシディアンが初めて私を『シャー』と呼んだ。
「声、使わなくて、いいと言った。声が無くても、私を大事に、してくれた。キミだけだ。キミだけが、私の王だ……シャー、だ」
 彼の声はこれまでに聞いたことが無いほど甘かった。蜜のように甘く、私をなぐさめた。
 私にはなんの力も無い。
 だけど、守らなければならないものがあると気づいた。言い訳でもいい。何と引き換えにしても、オブシディアンだけは守らなくてはいけない。彼を失ったら、私は黒の王として生きてはいけないだろう。
 オブシディアンの顔に流れる血を、服でぬぐった。
「あとで傷の手当てをしてあげます。私が戻るまでここを動いてはいけませんよ」
「……どこへ行く?」
「貴方をひどい目に遭わせた、兵を捕まえます。この先、貴方には指一本ふれさせません」
 私は部屋を飛び出した。
 絶対に許さない。暴行に加担した兵を捕らえ、拷問してでも首謀者を吐かせてみせる。オブシディアンのためではなく、私のためだ。自分のために、オブシディアンを守る。暴行に関わった者はすべて殺そうと決意した。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー