2017年02月05日

第二部 黒の王 -7-

「側近の矛先がオブシディアンに向くのだけは、なんとしても避けてください」
 レイヴンが控えめに答えた。
「しかし、黒の姫の件だけではなく赤の王も見つからない状態では、側近の不満を抑えきれません」
 赤の王が逝去してすでに半年が過ぎていた。
 軍は国中をしらみつぶしに捜索したが、手掛かりすら得られず、パーディシャーである私はここらで打開策を打ち出さねばならないほど追い詰められていた。
「私はシャーのお立場を守りたいと思っています。側近の意見を何もかも払い下げては、いずれ側近の不満も爆発してしまうでしょう。せめて、黒の姫を召し上げるか、赤の王捜索のために術師の部隊長のファルコンを呼び戻していただければ……」
 レイヴンの言うことは納得できるが、ファルコンを呼び戻すのは受け入れがたい。私の迷いを察したのか、レイヴンは話を続けた。
「ファルコンはこれまでもずっと、私の命令にだけは素直に従っていました。彼がシャーに対して無理を言うようであれば、私が抑えこみます」
 確かに、ファルコンは長兄であるレイヴンには服従していた。
 もっとも、レイヴンは術師の能力も人格者としても兄弟の中では際立っていたので、みなが慕っていた。
 紫の姫と初めて会った時のことを思い出した。オブシディアンを守るために、王の立場を揺るがすような危険な取引を、彼女とした。
「わかりました、側近たちと取引します。黒の姫を召し上げろという要求は受け入れがたいですが、そのかわりに術師の部隊を復活させます。部隊長のファルコンを呼び戻し、彼の部隊に赤の王の捜索を命じます」
 レイヴンは顔を輝かせた。
 私は同じことを、会合で側近に告げた。
 速やかにファルコンを呼び戻す手はずが整えられ、赤の王の捜索は術師の部隊に託された。
 しかし数週間後、赤の王を見つけ出したのは、ファルコンの率いる部隊ではなかった。
 赤の王を連れ帰ったのは、王宮付きの剣士だった。バーガンディーという男で、彼が胸に抱いていたのは二歳の子どもだった。
 すぐに赤の王は宮殿に引き渡され、ファウンテンはバーガンディーを召喚して彼から事情を聴いた。
 バーガンディーの話によると、赤の王の母親が、幼い子どもを王宮に引き渡したくない一心で、南方を逃げ回っていたという。見つかった時、母親は隣国であるビレットの砂漠をさまよっていた。
 王の父親はビレットの兵士で、数年前に戦死しており、彼女は捜索から逃れるために、夫の縁者を頼ってビレットに入国したようだが、街までたどり着けなかった。
 そんな状況で、半年も逃げ伸びたのは奇跡と言うほかなかった。
 彼女は王を隠匿した罪で、ファウンテンに捕らえられた。
 王が見つかり安堵したものの、赤の王が幼児だったために、私の心労は増した。新王に判断力が備わる年頃までは、赤の王の治めている南方の統治はパーディシャーの仕事になる。
 必然的に、パーディシャーの『中央』、アジュール王の『東方』、新王の『南方』を管理しなければなくなり、政務の負担はこれまで以上になった。
 せめてもの慰めは、新王の捜索に失敗したファルコンの部隊に、黒の側近から厳しい目が向けられたことだ。
 術師の部隊の復活を進めていた側近でさえも、手の平を返すようにファルコンの無能ぶりを叱責したので、このままであれば、また術師の部隊を無くす方向に導けるだろう。
 この時点で、私は赤の王捜索にまつわる顛末を、五分五分の結果だと見越していた。
 パーディシャーとして、赤の王を見つけられなかったのは失態だが、術師の部隊が手柄を逃して、術師を持ち上げていた側近の勢いが消えたのは、歓迎すべきことだった。
 その上、側近たちに黒の姫の話題を持ち出さないように牽制できたのは、オブシディアンを守る上でも良い結果になったはずだ。
 そう、信じていた。
 だから、ファウンテンに召喚された時も、私は何の不安も無く席に着いた。
 赤の王の母親の罪を裁くための法廷には、ファウンテンのマギの他に、ヴァート、アジュール、パーピュアが席についていたが、彼らは興味が無さそうにしていた。
 マギが罪状を読み上げ、私に許可を求めた。
「長期間、王が名乗りを上げなかったのは重罪です。今回の場合であれば、赤の王はまだ二歳で判断能力はありません。一緒に暮らしていた生母がサトラップに届け出るべきでしたが、こともあろうに、子どもを王宮に引き渡したくないという私情だけで、王を連れて兵から逃げ回りました。王宮に混乱をもたらしたのですから、死罪が妥当と思われます」
 私は状況が飲み込めず、なんとか「つまり……」と言葉をつないだ。
「王の母親を処刑すべきだ、ということですか?」
「本来であれば、量刑は王自身が判断することではありますが、赤の王に判断能力がないので、パーディシャーにご処断をお願いしたいのです」
 私が唖然としていると、マギはもう一度、はっきりした口調で言った。
「新王の隠匿は死罪に相当します」 
 ごくりと唾を飲み込んだ。
 罪人として持ち上げられているのは、赤の王の母親だ。
「なにも死罪にしなくても……地下牢に収監するなどの、罰を与えるだけで十分でしょう?」
「これまで、王を隠匿した者に、死罪以外の刑を執行した例がありません。パーディシャー、これは見せしめでもあるのです。今後、二度と新王の隠匿が起きないようにするためです」
「しかし、赤の王が成長した時、母親が死罪にされたと知ったらどう思うか……!」
 ヴァートが私の言葉を遮った。
「新王に恨まれるのが怖いのですか?」
「……え?」
 ヴァートは軽い口調で話し続けた。
「あなたは個人的に、新王に恨まれるのが怖くて決断を下せないのではありませんか? パーディシャーとして、新王を見つける責務も果たせず、新王を隠匿した大罪人を罰すのも嫌だとおっしゃる」
 言い返せなくて言葉に詰まった。
 ヴァートの指摘は間違ってはいない。私が逡巡していると、パーピュアが初めてくちを開いた。
「王宮付きの剣士、バーガンディーの意見を聞いてから決めてはどうです。今回の功労者ですから、彼の意見ならば取り入れてもいいのでは?」
 助け舟は予想外だったが、私は味方を得て安堵した。
「ええ。では、そうします」
 バーガンディーは感情の読み取れない精悍な顔つきで、法廷にあらわれた。
 彼はどの宮殿にも属さない『王宮付き』という立場だったが、南方の豪族出身という顔の広さを見込まれて、赤の宮殿から王の捜索を任されたのだ。
 バーガンディーは言葉少なに、母親を弁護した。おおむね、私と同じように幼い赤の王の心情を慮った陳情だった。
 パーピュアは彼の話を聞き終えると、椅子に踏ん反り返って、私を見た。
「罪人をその場で殺さず、ファウンテンに連れてきたのはバーガンディーの罪ですが、彼にも償う機会を与えては? 赤の王の母親の処刑は、バーガンディーに任せればいいでしょう」
「え……!?」
 耳を疑った。赤の王の母親の命を救うために、バーガンディーに証言させたはずなのに、パーピュアはまるで正反対の意見を、さも当たり前のように提案した。
 ヴァートがおかしそうに笑みを浮かべて、「パーディシャーのご判断であれば、仕方ない」と賛同したので、彼らの罠にはめられたとようやく気付いた。
 彼らは私の王としての覚悟を試していた。
 王として、重罪人を適切に裁けるのかと、挑まれているのだ。パーピュアは底の見えない澱んだ目で、私を見つめた。
「パーディシャー、思い上がった剣士に命を下しなさい」
「……私だけでは決定できません。パーピュア王のご意見を持ち帰り、黒の宰相の意見も聞いて……」
「紫の王である私の進言が、黒の宰相の決断に劣ると言うのか!?」
 パーピュアだけではなく、ヴァートも冷ややかな視線で私を見ていた。
 有無を言わせぬ迫力に唾を飲み込んだ。ここで王たちに反抗するのは、得策ではない。
 彼らが未熟な私をパーディシャーとして認めていないのは、最初の会合で分かっていた。むやみに付け込む隙を作るより、パーディシャーとして最適な決断を下さなければいけない。
 だが、この決断には人ひとりの命が掛かっている。私の答え次第で、赤の王の母親は殺される。
 重苦しい雰囲気の中、私はくちを開いた。
「……バーガンディーは、赤の王の母親を処刑しなさい」 
「素晴らしい! パーディシャーの英断に感服しました」 
 ヴァートが片手を私に差し出し、自分の胸元に握った拳を寄せて、敬意を払った。芝居がかった態度に、いちまつの不安が胸をよぎった。
 バーガンディーは頭を下げた。
「パーディシャーのご命令、しかと承知しました。ですが……」
 彼が抵抗してくれないかと期待しながら、「申し述べたいことがあるのなら、言ってみなさい」と先を促した。
 バーガンディーはちらりと、ヴァートとパーピュアを見た。ほんの一瞬、苦々しい表情をかいま見せたが、次の瞬間には凛々しさを取り戻して私を見た。
「私の命を懸けて、お願い申し上げます。どうか、ギュールズ王には母親の死を知らせずにいただきたい。幼き王は今でも、母親の安否を心配しています。自分が王になったことで、母親が死んだと知れば自分を恨み、命令を下されたパーディシャーにも恨みを抱きかねません。シェブロンの安泰のため、どうぞ箝口令を敷いてください」
 私はバーガンディーの申し出を受け入れた。
 忠実な剣士は私の命令通り、すぐさま赤の王の母親を殺した。彼女の死は、あの時、法廷にいた者たちの胸にだけしまい込まれた。
 赤の王の母親は、子どもを引き渡したことでファウンテンの罰を免除され、どこか遠くの街で平和に暮らしている。優しい嘘は、非情な決断を下した私の心を、わずかに慰めた。


 赤の王の母親を殺せと命令をくだした。
 私が母親の罪を本心から認めていれば、気に病むことはなかっただろう。だが、彼女はただ子どもの将来を案じていただけだ。私欲のために人を殺したという罪の意識は、私を苦しめた。
 暴君だった祖父と私は、なにが違うのだろう? ファウンテンの雰囲気に飲まれ、王たちに媚びようとして楽な決断を選んだ、自分の弱さを恨んだ。
 オブシディアンは気落ちした私を放っておけないようで、おろおろしながらそばに纏わりついた。
「セーブル……大丈夫、か?」
 無垢な存在が今でも私を慕ってくれることで、私の心は癒された。手を伸ばしたくなったけれど、忘れてはいけない。
 薬を塗る行為を、オブシディアンに無理強いした。親身に世話しただけだと、言い訳できないくらいの自覚が、私にはあった。
 オブシディアンが困る姿を見るのが、好きだった。あの昏いよろこびを、言い訳できなかった。だから、オブシディアンを遠ざけるしかなかった。
「貴方には関係のないことです。放っておいてください」
 なぜなのかわからない。この国で最高の権力を持つ王になったはずなのに、何もかも上手くいかない。
 兄弟に虐げられて、自分の無能さを恨んでいた子どもの頃のままだ。それどころか、権力を持つことによって昔よりもさらに、この世に存在してはいけない人間なのではないかと思えた。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー