2017年01月31日

第二部 黒の王 -5-

 赤の王が急逝し、王宮に衝撃が走ったが、すぐに次の王が名乗りを上げるだろうと誰も疑わなかった。少なくとも私はそう思っていた。
 だが、ひと月が過ぎても、新しい王はあらわれなかった。
 一向に情報が集まらず、赤の宮殿だけではなく、パーディシャーである私の周りも騒がしくなった。
 シェブロンの民には、王に選ばれた者は速やかにサトラップに申し出なくてはならないという規律が、浸透している。各地に送られた兵も、新しい王を捜しているとふれ回っているはずだった。
 新しい王を迎えるのはパーディシャーである私の役目だ。赤の軍だけでなく黒の軍も動員したが、それでも見つからない。
 私の執務室に集まった側近の顔にも、焦りの色が浮かんでいた。しびれを切らしたように、側近のひとりが提案した。
「シャー、他国の捜索も始めるべきでしょう。新王がいつまでも不在となれば、赤の宮殿だけではなく、南方の諸侯からも非難が殺到します。ここはひとつ、術師のいる部隊を用いて……」
 私はひじ掛けの上で、こぶしを握った。
「術師の部隊は解体させたはずです。部隊長のファルコンも宮殿から追放しました」
「しかし、あの部隊は元々、新しい王を捜索するために作られたのですよ。今こそ、彼らの使いどころでしょう」
 側近たちは次々とその案に賛同し、「部隊長を呼び戻しましょう」と言った。
「それに、部隊長はシャーのお兄様ではありませんか。追放されたとはいえ、シャーのお召しがあれば、快く戻ってきてくれるに違いありません」
 熱のこもった説得にぞくりとした。
 術師で構成された部隊を率いていたのは、側近の言う通り、私の兄だった。私が黒の王になって、最初に追放した兄弟でもある。
 ファルコンは白髪に銀色の瞳の持ち主で、目鼻立ちのはっきりした美丈夫だ。二十歳で、兄弟の中では年若いほうだったが、トオミという遠くの出来事を察知する能力を持っていたので、敵の内情を探るなどの索敵に向いていた。
 彼はたしかに黒の宮殿に役立っていたが、己の能力に陶酔した自信家で、能力を持たない私を蔑視していた。その優越感は、私が黒の王になった後もあからさまだったので、追放は見せしめのようなものだった。
 彼を宮殿に戻せば、術師を排除していくという方針を貫くのは難しくなる。
 いつまでも赤の王が見つからないのは、なぜなのだろう?
 もしかしたら、これは側近のはかりごとなのかもしれない。彼らは術師を排除しようとする私を、よく思っていない。
 本当は赤の王を見つけ出しているのに、捜索を口実にして、術師たちを呼び戻そうとしているのかもしれない。
 一度、疑うと誰も彼もが怪しく思えてくる。
 話し合いを打ち切るために椅子から立ちあがった。
「王に家族はいません。次に、術師を呼び戻す策をくちにした者は、地位をはく奪されると覚悟しておきなさい」
 言い捨てて部屋を出ると、レイヴンが追ってきた。
「シャー、今は非常時です」
「あにさまも、術師の部隊が必要だと言うのですか」
 私の声が怒りに震えていたので、レイヴンは次の言葉をためらった。しかし、姿勢を正すと話を続けた。
「側近の言い分は一理あります。このまま赤の王が見つからなければ、王宮内でのシャーのお立場が悪くなる。しかし……」
「しかし?」
「これだけは譲れないとおっしゃるのであれば……私はシャーのお心に従います」
 私はレイヴンから視線をそらした。
「……しばらくひとりにしてください。術師を呼び戻すかどうか、考えてみます」
 自室に向かう途中、庭にいるオブシディアンを見かけた。黒いローブを羽織り、茂みに覆いかぶさるように、身を乗り出している。
 また、鳥か猫でも見つけたのだろうか。オブシディアンは怪我をした動物を見つけると、放っておけないようで、庭ならともかく部屋にまで運び入れるため、血で汚れた絨毯を見つけて叱ったこともある。
 オブシディアンを眺めていると、会議でささくれ立っていた心が、落ち着いてくる。
 庭に下りて、彼の背後まで近づいた。
 すると茂みの向こうから、子どもの甲高い声がした。
「手当てなどいらん! さっさとどこかへ行け、カイブツ。おまえが近くにいたら黒の兵に見つかるだろう!?」
 私はオブシディアンの身体を押しのけて、茂みを覗き込んだ。
 しゃがみこんでいた人影が、私を見上げた。十歳くらいの年頃の少年だった。
 子どもながらに整った顔立ちをしていた。
 印象的なのは瞳で、右目はよくある空色だったが、左目は鮮やかな紫色をしている。両目の色が違う人間なんて、初めて見たのでつい見惚れてしまう。
 彼はゆったりした白い服を着ていた。癖のない金髪は耳が隠れるくらいの長さで、襟足を刈り上げている。透き通るような色の肌をしていて、首筋や手足には痣や切り傷が目立った。
 傷だらけの身体以上に私の目を奪ったのは、鎖骨に浮かぶ紫色の羽の模様だった。
「まさか、紫のティンクチャー……!?」
 しるしが本物なら、彼はパーピュアの側女ということになる。
 通常、側女は王のハリームから出ることを許されていない。その上、他の宮殿にいるのを見つかれば、彼だけでなく私も大変なことになる。
 側女を自分の宮殿に連れ帰ったと見なされれば、紫の王への宣戦布告とも取られかねない。
 少年は美しい容姿にそぐわない乱暴なしぐさで頭をかくと、茂みから立ち上がった。オブシディアンに人差し指を突きつける。
「おい、うすのろ、見つかったのは貴様のせいだぞ! わたしを救う気があるなら、このガキを縛り上げろ」
 すっと動いた指が、私を指したのでぎょっとした。同じようにオブシディアンも、少年の勢いに押されてびくりと震えた。
「き、傷の、手当てを……」
 オブシディアンは少年の右腕を気にしていた。
 そこには特に目立つ傷があった。腕全体に縄で縛られたような跡があり、手首の肉はえぐれて骨まで見えそうになっている。
 傷口からは今も血が滴っており、私はあまりに惨い傷に青ざめた。
「こんなもの、血さえ止まればすぐに治る」
 少年が手首をぶらぶらと振ったので、私は慌てて腕をつかんで止めさせた。王の会合で出会った、陰気で癇癪もちの男が頭をちらつき、暗澹とした気持ちになった。
「この傷は、パーピュア王に乱暴されたのですか?」
 私は自分の服から白い帯を外すと、彼の手首に巻きつけた。強く縛れば、止血くらいにはなるだろう。
 助けるつもりではなく、ただ、彼の傷跡を見続けるのがつらかった。
 少年は私の心を見透かすように、「おまえ、弱いな」と言った。年下とは思えないほど、落ち着き払った態度だった。
「そんなに弱くて、パーディシャーが務まるのか?」
 彼は素早く動いた。怪我をしているのとは反対側の腕を、私のあごの下に差し込むと、首を締め上げた。
 私の方が身長が高かったが、そんな差はものともしなかった。
 締め上げる力が強くて、しびれたように両足に力が入らなくなる。
「セーブル!?」
 オブシディアンが悲鳴を上げた。
「近づけば、こいつを殺す」
 先ほどまでの奔放な口調とは違う、冷ややかな声でオブシディアンに凄んだ。
「そうだ、じっとしていろ、カイブツ。わたしはこいつと話がある」
 少年はオブシディアンを制すると、私の耳元でささやいた。
「新しいパーディシャーは子どもだと聞いていたが、まさかこんなに弱っちいとは。あまりに簡単で心配になるぞ?」
「……要求を、言いなさい」
「要求?」
「殺す気ならもう、殺しているでしょう、馬鹿力」
 無理やり顔を上げると、少年は人を殺しかけているとは思えない、朗らかな笑みを浮かべた。
「話が早くて助かる。わたしが王宮から逃げるまで、人質になってもらう」
 ふいに、少年が目を見開いてオブシディアンを見た。空気が揺れた。背筋がぞくぞくする。
「動くな」
 オブシディアンが『声』を使ったのだと、遅れて理解した。声の威力はもちろん、私の頭にも届いた。身体がこわばり呼吸もできなくなる。だが少年は違った。
「貴様、術師か」
 少年はオブシディアンを見上げると、急に私の首を絞める力を強めた。拘束するためではなく、意識を失わせようとしている。
 『声』を掛けられても動けるなんて、信じられなかった。オブシディアンも動揺したようで、次の声は最初よりもずっと大きかった。
「壊れろ」
 頭の中心で、金属同士を擦り合わせたような大きな音が鳴った。
 少年の腕の力が弱まった。私は解放されて地面に両手をついたが、音は鳴りやまず、息が吸えなくてあえいだ。振り向くと、少年が立ち上がって、オブシディアンに向かって突進しようとしていた。
 私は腕を伸ばして少年の服をつかんだ。少年はよろけて膝をついた。
 その隙に、オブシディアンに駆け寄った。全力で飛びついて、彼を地面に押し倒した。
「やめなさい!」
 頭の中の音にかき消されないように、ありったけの声で怒鳴った。
「オブシディアン、言うことをききなさい!」
 両手で顔をつかんで覗き込むと、分厚いまぶたが持ち上がり、灰色の瞳がぎょろりと動いた。くすんだガラスのように色は薄かったが、ぎらぎらして見えた。
「私を殺したいのですか!?」
 ぴたりと『声』が止んだ。オブシディアンはくちを開いたが、言葉を発するのをためらった。
 声を出すのを怖がっているように見えたので、私は諭すように優しく語りかけた。
「殺したくないのでしょう?」
「……殺したくない」
「大丈夫です。私がそばにいる限り、貴方に人殺しはさせません。よく、思いとどまりましたね」
 ゆっくりとひたいを撫でてやると、オブシディアンの身体からは、徐々に緊張が解けていった。
 私は彼の上から退くと、地面にどさりと尻餅をついた。
 目の前に少年が立っていた。
 彼は血の気の引いた顔で、口の端に垂れたよだれを手の甲でぬぐい、「おもしろい生き物を飼っているのだな」と言った。
「術師なのに、なぜ力を使わせないんだ?」
 私は答えなかった。
 オブシディアンを地下牢から出した時、彼の正体を知っているのはレイヴンと、地下牢の番人だけだった。だから、彼ら以外には能力を知られないようにと言い含めた。
 術師の中でも『声』を操れる者は希少だ。絶大な戦力になるので、欲しがる者は大勢いるだろうし、手に入れられなければ、黒の宮殿から力を削ぐためにオブシディアンの命を狙うかもしれない。そんな危険に遭わせる気はなかった。
「なんだ、だんまりか?」
 少年は首を傾げ、腕力が有り余っているように肩を鳴らした。
「それでは、この術師がおまえの弱みだと言っているようなものだぞ」
「……その手首の傷」
「うん?」
「貴方はパーピュア王から逃げたいのでしょう」
 パーピュアはハリームに幼い子どもを集め、虐めるのが好きだという話だった。少年の身体の傷は、如実にハリームの過酷さを物語っている。
「羽のティンクチャーがある限り、私は紫の側女に手出しできません。ですが、羽のしるしがない時なら……白の侍従に戻った後ならば、逃がす手段はあります」
「うーん、それはなんだ。同情か?」
「今、ここで起きたことを誰にも言わないと約束すれば、私は貴方を助けます」
「カイブツがわたしに術をかけたことを? 圧倒的な能力なのに、内緒にするとはもったいない」
「側女が逃げ出したと、パーピュア王に突き出せば貴方は殺されます。今すぐ、紫の兵を呼ぶこともできるのですよ」
 少年は沈黙した。不利な立場なのは彼だと知らせたはずなのに、彼は値踏みするようにじろりと私を見下ろした。
「あの変態野郎が、パーディシャーは無能だ、クソガキだとわめいていたから、黒の宮殿から逃げるのが得策かと思ったが、取引を持ち掛けてくるとは意外だった。余程、そのカイブツを大事にしているんだな」
「次に彼を怪物と呼んだら、取引は無しです!」
 にらみつけると、少年は私とオブシディアンを交互に見た。
 それから、呆れたように「わかった、それではカイブツではなく、うすのろと呼ぼう」と言った。
「羽が消えたらまた来る。約束を忘れるなよ、パーディシャー」
 少年は茂みに戻ると、背丈の三倍の高さがありそうな壁に手をかけた。
「壁を越えてきたんですか? その手の傷で?」
 唖然としながら尋ねた。少年は動きを止め、こちらを見ずに言った。 
「取引などせずとも、わたしを兵に突き出せば良かったのに」
「……それは」
 つい、彼の手首に巻いた帯に目をやってしまう。白い生地に血が滲み、赤黒く変色していた。
 少年は振り返ると、私の弱さをあざ笑うように帯を振ってから、歯を見せてにやりと笑った。そして、手の傷などものともせずに、身軽に壁を登った。
 私はあることを思い出してハッとした。
「待ちなさい。貴方は本当に紫の王の側女ですか? たしかパーピュア様は『女専門』だったはずじゃ……」
 会合でヴァートがそう言っていたはずだ。それなのに、少年に羽のティンクチャーがあるのはおかしい。
「は?」
 彼は壁の上に立ちあがると、服のすそを豪快にめくった。下着を身に着けておらず、まぶしいほどに白い太ももがあらわになった。
「ついているように見えるのか? わたしを男と見間違えるなんて、相当なぼんくらだ! おまえのような間抜けがパーディシャーとは、この国もお先真っ暗だな!」
 軽快な笑い声が、壁の向こうに消えた。
「……女? あれが?」
 あれほど強く、苛烈な子どもが女だとは、にわかには信じがたかった。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー