2016年10月23日

第二部 黒の王 -1-

 祖父は怪物を飼っていた。
 黒の王であり、パーディシャーでもある祖父にとって怪物は切り札で、ここぞという時に地下牢から出して、政敵を『声』で操った。
 声でひとの思考を操る術師は、鋭利な剣よりも優れた兵士よりも強力な兵器で、誰も太刀打ちできないという。
 地下牢は厳重に見張られていたから、怪物がどんな姿をしているのか知る者はまれだった。生まれた時から黒の宮殿に住んでいる私でも目にしたことはなく、あの日が来るまで、私にとって怪物は空想上の存在に過ぎなかった。


 黒の宮殿の廊下を歩いていると長兄に声をかけられた。
「オブシディアン、もう体調はいいのか」
 反射的に頭を下げた。長兄のレイヴンは私より二十も年上なので父親のような存在だ。本当の父親の顔は覚えていない。両親は私が生まれた直後に亡くなったと聞いていた。
「大丈夫です、あにさま」
「おまえは身体が弱いのだから、無理をするなよ」と肩に手を置かれた。
 いたわるような言葉をかけてくれるのは、大勢いる兄弟の中でもレイヴンだけだ。
「はい……ご心配をお掛けしました」
 ぼそぼそと返事をすると、「また声が小さくなっているな。具合が悪いわけでないのなら、背を伸ばして堂々としていなさい」と困った顔をした。
 声が小さくなるのは、久しぶりに他人と会話をしたからだ。
 私はレイヴン以外の相手と話をする機会がない。彼は忙しいひとなので、つまり誰とも話す機会がなく、侍従や兵でさえ私には見向きもしない。
「行こう、シャーのお召しだ。広間に兄弟がみな集められている」
 王に家族はいないとされる。私たち兄弟も『シャー』と呼び、祖父である黒の王を敬った。
「みなをお呼びになるとは大切な御用なのでしょうか」
「術師を召し上げるおつもりらしい。披露目の席だと側近が言っていた」
 黒の宮殿には術師が多い。国中から、時には国外からも術師を招き入れており、黒の軍には術師を探し出すことを専門にした部隊もある。しかし私が知る限り、みなを集めてまで披露目をされた術師は、これまでいなかった。
「シャーがそのようなことをなさるのは初めてではありませんか?」
「そうだな。おまけに召し上げるのは『サキヨミ』だそうだ」
 驚いて兄を見上げた。サキヨミとは今より先、つまり未来を予知する能力を持つ術師の総称だ。歴代の王に愛された能力だとはわかっていたが。
「シャーは術師の中で、サキヨミだけは忌み嫌っておられたはず。怪しい予知をしてひとを惑わすとおっしゃっていたのに、なぜ急に?」
「私にはシャーのお心はわからないが、よほど信頼のおけるサキヨミが現れたのか……それとも、シャーには何としても知りたい未来があるのかもしれない」
 私は『何としても知りたい未来』について考えを巡らせたが、いくら考えても王の胸のうちはわからなかった。
 レイヴンは話を変えるように、私の髪にふれて「ずいぶんと髪が伸びたな」と言った。腰まで伸びた髪は、たいした手入れをしなくてもまっすぐで、他の色の混じる隙もないくらいに真っ黒だ。
「あにさまのお目障りになるようでしたら切ります」
 そう答えると、レイヴンは苦笑した。
「いい、いい。術師にも髪を伸ばす者は多く、長い髪には神の力が宿るという。おまえの力が発露するきっかけになるかもしれないのだから、このままにしておけ」
 なぐさみの言葉をかけて、私の髪から手を離したが、黒いひとふさだけは宙に浮いたままだった。ふわふわと、風に吹かれた綿毛のように漂っている。
「あにさま」
 呼びかけると、レイヴンは私の髪を指先ではじいた。ぱさりと、髪が本来の重さを取り戻す。レイヴンは生まれつき術師のような力があった。
 レイヴンだけではなく他の兄弟も同じで、種類は違えどなにかしらの神の力を持っていた。私の兄弟は二十人もいるが、全員が術師だった。末弟の私以外、全員に神の力が与えられていた。
 祖父は私たち兄弟の序列を生まれた順ではなく、力の強さで決めた。その中でも一番に目をかけているのはレイヴンだった。
 手を触れなくても物を浮かせる力を持っており、手で物を投げるよりも勢いをつけることができる。鉄球を使って、壁に穴をあけてみせたこともあった。
 なにより、彼は自分の意志で力を制御できた。神の力は不安定で上手く使えない者が多い中、自分の意志で操れるというのは、強い力を持つ以上に重要と思われていた。
 私は自分の長い髪をなでた。レイヴンはすっきりと揃えられた短髪だ。一縷の望みをかけて髪など伸ばしてみたところで、きっと無意味だ。
 広間の扉の前には兵がずらりと並んでいる。
 他国の賓客を招いた時のような警戒態勢に、レイヴンは眉を寄せた。兵に剣を預けながら、「ずいぶんと警備が厳重だな」と声をかけると、兵は「シャーのご命令です」と答えた。
 広間の天井は高く、鉄製のシャンデリアが吊るされている。窓は無いが、シャンデリアの腕木に灯る無数の光が、広い部屋をくまなく照らしている。
 すでに他の兄弟が集まっていた。レイヴンが私のそばから離れてシャーのいる玉座に向かうと、取り残された私に向けられる兄弟たちの視線は露骨になった。
 視線に含まれる感情は『侮蔑』だ。王の血を引いているのに神の力の片鱗もみせない末弟を蔑み、哀れみ、いつまでも黒の宮殿で暮らしていることを目障りに思っている。
 多くの術師は、十歳になるまでに力が発露しなければ素養がないと言われている。私はなにもないまま十歳を迎え、十四になるこの歳まで、兄弟たちから出来損ないと言われ続けた。
 兄弟の中でもっとも力が弱い、すぐ上の兄にまで「役立たずは宮殿にいる資格がない」と責められる。祖父はみなを集めても私に声をかけることはなく、能力を持たない私を見ようともしなかった。
 私自身でさえ、能力の開花を信じていたのは十一になるまで。あきらめた後は、息をひそめて生きてきた。
 神の力などいらない、と開き直ることはできなかった。黒の宮殿を出ても生きていけるだけの力を持っていなかったから、極力、まわりを刺激しないよう大人しく振舞った。
 この先ずっと、言いたいことも言えず誰にも認められず、生きていくのだろう。
 広間の扉が閉まる。廊下側と同じように兵が扉の前に立った。
 ふと、違和感を覚えた。部屋の内側から扉を開けられないように、兵が見張っているように思えたからだ。
 玉座のそばに男が連れてこられた。顔には布が巻かれ、兵が両脇を抱えている。兵が男の顔の布をはぎ取ると、広間にどよめきが起きた。
 布の下から現れたのは、浅黒い肌に黒い髪の奴隷のような風貌の男だ。顔には大量の汗をかいて、目の焦点が定まっていない。首筋には鞭で打たれた傷があり、血がにじんでいる。
 兵に支えられてようやく立っているような状態だ。拷問を受けたのがあきらかで、私は悲惨な姿に息を飲んだ。
 祖父が静かに立ち上がった。
「この男はサキヨミだ」
 哀れな姿の奴隷が、祖父の召し上げた術師だった。祖父は乱暴に奴隷の前髪をつかんで、顔を上げさせた。
「おまえの予言した謀反人は、ここに集まった者たちの中にいるのか」と、広間を見渡せるように奴隷の頭を動かした。
 祖父のそばにいたレイヴンが顔色を変えた。
「シャー、謀反人とはどういう意味です。ここにいるのは私の兄弟たちです。怪しげな術師を信じ、私たちを疑うのですか!」
 祖父はレイヴンの言葉に耳をかさず、兵に指示を出してレイヴンを取り押さえた。
 術師は視線をさまよわせていたが、ある場所でぴたりと動きを止めた。
 視線の先にいたのは、兄弟の中で最も神の力の弱い、私のすぐ上の兄だった。自分が謀反人として選ばれたのだと気づいて、兄は勢いよく立ち上がった。
「ま、まさか、嘘です、シャー! こんな男の言うことを信じてはなりません。私は貴方の血を引く正当な」
「殺せ」
 祖父が命じると、兵が素早い動きで弓を取り出し矢を番えた。
 兄が懇願の言葉を吐く前に矢が放たれた。弓矢の訓練に使われる的のように顔の中央に矢が刺さり、兄は悲鳴を上げる間もなく倒れた。
 誰も動けなかった。静まり返った広間に祖父の声が響く。
「ひとり目は死んだ。つぎのものを占え」 
 つぎのもの? 次の者……ということは、兄には謀反を企む仲間がいたのだろうか。占え、ということは術師には謀反人がひとりずつしか予知できないのだろうか。のろのろと頭を働かせる。
 恐怖心はなかった。それほど、目の前の光景はありえなかった。祖父が私の兄弟を殺した。謀反人と決めつけ、弁解も聞かずに射殺した。とても現実とは思えなかった。
 突然、兄弟のひとりが悲鳴を上げて、扉に駆け寄った。行く手を兵に阻まれると、金切り声でわめいた。
「離せ! 俺もあいつも謀反など企んでいない! 術師の予言なんかで殺されてたまるか!」
 祖父がうなずくと、兵はためらいなく剣を抜いて、扉にすがりついていた兄の背を刺した。ぐ、という鈍いうめきだけで兄はその場に崩れ落ちた。
 こと切れた孫の姿を目にしても祖父の表情は変わらなかった。
「すべての予言が終わるまで、誰もこの部屋からは出さない」
 閉じ込められた。
 私はようやくそのことを悟った。
 両ひざが揺れている。足元から震えが駆け上がってくる。これほどまでに死が身近に迫ったことはない。
 兄弟が殺された。殺したのは祖父で、血のつながりなど感じられないほどに無慈悲な処刑だ。あとずさるとすぐに壁にぶつかった。どこにも隠れるところがない。
 いつも広間に置かれている調度品も、きれいに片付けられている。間違いなかった。この部屋は、この状況は、殺戮のために用意された舞台なのだ。
 術師の目はぎょろりと動き、次の謀反人を探していた。
 目に止まったのは数少ない女で、二番目の姉のジェミニだった。ジェミニはレイヴンに次いで神の力が強いため祖父の気に入りだったが、祖父は姉を一瞥しただけだった。
 ジェミニは身をすくませて、助けを求めるようにまわりを見た。かばう者がいないと知ると、祈りを捧げるように両手を組み合わせた。
「嘘だわ……こんなのありえない。シャー……おじいさま、お願いです話を聞いてください」
「あの女を殺せ」
 祖父の命令を聞くと、ジェミニは力が抜けた様子で床にひざをついた。
 その時、レイヴンが側近たちを振りほどいた。ジェミニに矢を向けている兵に向けて腕を伸ばし、てのひらを広げる。目には見えない力で弓はぐにゃりと変形し、棒を振るような動きで兵を殴りつけて弾き飛ばした。
「ジェミニ、死にたくなければ力を使え! おまえの力でシャーを眠らせろ!」
「でも、わたしの力じゃ……」とジェミニは首を振った。
 祖父がレイヴンの左肩にふれた。
「おまえはまだ私の力をわかっていない。私はこうしてふれている者以外でも、あそこにいるおまえの妹のように、離れた場所にいる者でも『奪う』ことができる。思い知らせてやろう」
 祖父がちらりとジェミニを見ると、彼女の顔には恐怖が浮かんだ。
「いやっ……」
 ジェミニの両腕が、布を絞る時のように薄っぺらく折れ曲がる。胸も顔も同じようにゆがみ、悲鳴さえ上げることができなくなる。ひとではなくなった物体が床に転がった。
 美しかった姉の面影は残っていない。ジェミニの名を叫ぶレイヴンの左腕も、身体の中身を抜かれたようにぺしゃんこになっていった。
 祖父は術師に「次を見つけろ」と言った。次を、次を。まだ惨劇は続くのか。また誰かが死んでしまうのか。
 身体の芯がからからに干からびてしまったような気がした。
 術師と目が合う。暗闇のように真っ黒な瞳に見つめられ、私は少しも動けなかった。選ばれた。次に死ぬのは私だ。
 兄弟たちが左右に分かれるようにさっといなくなる。
 ふいに術師の目に光が灯った。
「あれだ」
 術師は場違いな明るい声で、「やっと見つけた、あれだ」と言った。そうして祖父を見た。
「あれがおまえの次に黒の王になる男だ。おまえが恐れる次代の王だ!」
 術師は祖父から視線を外して、今度は私を見て、真実を叫んだ。
「私が予言しろと命じられたのは謀反人ではない。次の黒の王だ! この男は自分の死後、王になる者を探させ、残らず殺す気でいる。次の王を葬り、少しでも長く自分が王である未来を作ろうとしているんだ!」
 唾をまき散らして叫ぶ術師の姿は、狂人じみていた。
 恐ろしかったけれど、男の言うことを嘘だとは思えなかった。祖父は自分が王であり続けるために、私たちを殺そうとした。術師は歓喜を叫び続けた。
「未来を教えてやろう、黒の王。まもなく新しい王は生まれる。おまえは死に、黒いティンクチャーは新しい王に引き継がれる!」
 祖父は自分の手の甲にしるされたオーアの模様を見た。それから兵に命じて、術師の首を切り落とさせた。
 レイヴンは左肩を押さえながら、震える声で言った。
「シャー、私はこの広間を何度も夢に見ました。十四年前、父と一緒にこの広間に呼ばれた日のことを何度も。母もそばにいたはずなのに、私には広間を出た記憶がありません。まさか……」
 祖父は面倒くさそうに「おまえたちの父親は、次の王と予言された」と答えた。
 予想した答えが返ってきたのだろうけれど、レイヴンは理解できない言葉を聞いたかのように、困惑した表情を浮かべた。
「私の父は、貴方の息子です」
「王には家族はいない」
 レイヴンに興味を無くした祖父は、ゆっくりと私を見た。
 おそらく生まれて初めて、まともに私を見た。出来損ないとして生まれて、なんの感情も向けられなかった私に、祖父が初めて投げかけた視線は、強い敵意をはらんでいた。自分の死後に王になる者を心底憎んでいた。
「あいつを殺せ」
 兵が矢をつがえて私を狙う。
 レイヴンは右腕を振り上げると、てのひらを天井に向けた。鉄製のシャンデリアが大きく揺れた。天井と繋がっている太い鎖がぶつりと切れる。
 そのままレイヴンが腕を振ると、シャンデリアは私に向かって投げつけられた。とっさに、頭を押さえてしゃがみこむ。
 激しい音を立てて、シャンデリアは私の背後の壁を壊した。その向こうに廊下が見える。レイヴンが怒鳴った。
「逃げろ、オブシディアン!」
 壁の割れ目に手をかけて兄を振り返ると、兵が兄の腹に剣を刺すところだった。
 私は廊下に出ると、走り出した。廊下で扉を守っていた兵たちは、壁を壊して飛び出てきた私に驚いた顔を向けたが、「逃がすな、殺せ!」と命じる声がして、私を追いかけ始めた。
posted by eniwa at 00:00| トリロジー